seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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logical dumping

あたかも塵の如く捨て去ったはずの過去の事柄に向き合わねばならぬこと、
誰しも生きていれば一度や二度は遭遇するものだと思う。人間は失敗してこそ人間さ。
つい最近、自分にもそんなことが起こった。不意打ちに近い形で現れた空の虹。
嫌と言おうが何と言おうが、逃げるのも不自然だと感じるほどに自分らしい現実。
時間のからくりに目眩がしそうなほど、それは壮大な謎解きの結末を見ることとなった。

詳細は共感覚から近からず遠からずの世界にある事象であるとはいえ、直接は関係ない。
螺旋形の時間風景を真っ逆さまに転げ落ちていくような驚嘆すべき出来事だったとだけ書く。
記憶と共感覚、そんなことにはこれまでも何度かこのブログで書いていたようにも思う。
つながれない破断した記憶、いかにして結んでやろう、と長きに渡って考えあぐねていた。
そんなところで脳内から降って沸いた電光。混乱を招いた根源が秩序をもたらすとは皮肉です。

さて、自らの記憶喪失についてのあれこれ語るのがこれの目的ではない。現実的に考えて、
物事の核心は明日へ向かうものでないと、何であれ非生産的な思考を呼び起こしかねない。
自分自身の経験したことを一綴りの記憶として保ち続けるのは張本人のみだから、
どんなに大切なものだろうと、悲惨なものだろうと、目指す矛先を過去に向けると虚しいものだ。
主観の為せし業といえばそこまでだが、実際その程度なのだろう。扉の向こうは別世界さ。

今から10年も前にこしらえた絵を眺めてみる。あの頃と今の自分は変らない線を描ける!
だから何だ、というのも本音ではあるがこれはこれで大きな意味を持つ。記憶の結節点に出会う、
そんな瞬間が自分にもまだあったのかと思うと何とも幸せで、爽快な気分を味わえる。
200人の人々の顔を思い浮かべながら考えた音楽だとか。旋律を色と形に置き換えているな。
嗚呼、これぞ私の共感覚。これからもっと生かしてやらねば!たとえ荒波に揉まれようとも。

過去の積荷を下ろす作業、古傷が本当に痛む。それでも、今回かぎりは続けてみよう。
もう決して使われることのなかったはずの昔の事柄であっても、明日を通ってどこかへ行く。
時として、追体験以上に大きな意味を持って現在に蘇る事象もあるのだと己を省みる。
ただ新しいものを創るのではなく、過去からそこにあるものを造り替えることも出来ようぞ。
建築のリノヴェーションの如きスペクタクル、螺旋階段をゆっくりと降りながら考えるのも素敵ね。


espressivo
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  1. 2008/05/30(金) 23:56:29|
  2. らせん と じかん
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プロセスを縫って生きる

初めて聴いた外国語の発音をその場で再現することにはそれなりに自信があると思う。
共感覚として知覚した色や形に対して顔中の筋肉がちゃんと呼応してくれるのであれば、
という条件付ではあるが、緊張感を持ってリスニングに臨む時は身体全体で聴くようにする。
真剣になると自然と頬や口のあたりが動き出し、指先が形をつかもうとしていることも。
しかし、シャドウイングといったリスニング技術としての効果はゼロ。意味には到達していない。

一方でそこまで得意ではない聴き取りもある。楽曲の歌詞を聴き取ることなどがそうだ。
共感覚としてのメロディーラインや音色を追いながら音程を把握しつつ、歌詞の色を見ている。
一回でまともに聴き取れたことがこれまでどれくらいあっただろうか?片手の数えても事足りる。
日本語だろうと外国語だろうと、音と言葉の両方まで網羅しようとすれば混乱に終わるもの。
うるさい色の飛び交うカラオケで歌など歌えたものではない。あれだけは本当に御免被りたい。
それ以前に五感で感じる視覚もあるのだから、精々ゆっくり生きて色を楽しんでやろうと思う。

当事者本人にしかわからない共感覚なのだが、孤独な割には出会えるものが多い。
音と歌詞を同時に覚えるのが苦手なのに合唱が好きだったというのも、何だか笑える話。
オランダから帰国後の6年間、合唱を通して日本語の色や形を見て味わっていたことがある。
歌詞を覚えるのが異様なほどに早かったのだが、それは何も記憶力の問題ではない。
音程と一緒に暗譜することができないから、共感覚で"分業した"というだけのこと。

音は音で楽しみたい、そう思うことがよくある。それが言葉であれ、自然の音であれ。
厳密な意味で共感覚なしに音を聴き、尚且つ快感を味わうにはどうしたらよいのだろうか?
共感覚のない世界=死の世界、と感じる今の私にとっては矛盾するとはいえ、夢に見る。
これは贅沢な悩みなのか。共感覚者としての感覚や感性を持ったままには達成し得ない。
私がどんなに想像し尽くしても、それは借り物に過ぎず。虚構では意味がないもの。

それならそうと観念して、唯一無二、この言葉の袂で雨宿りして生きてみようか。
秘められた色に誰が気付くというのか、いや誰も。言葉にせず、色のままであれば
激しい想いも何もかも、社会のシンボリズムから解き放たれて在るがままに飛び跳ねる。
意味が生まれる前の言語、言葉になる前の色彩、そんなものがあってもいいと思う。
ものを生み出すのは何も結果だけではなかろう。中間生成物として生きる共感覚に幸あれ。


彩りは君を想う
  1. 2008/05/12(月) 23:16:28|
  2. おとをみる いろをきく
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基準を打ち砕いてゆくもの

どういう訳か、世の中には「基準」というものが存在する。基準に沿うか、沿わないか。
正しいか、間違っているか。収まっているか、はみ出しているか。大きいか、小さいか、等など。
共感覚はこの二項対立の関係から相当遠い領域で生きてきた現象だと思うことがしばしば、
この感覚には社会の基準とは一線を画した関係性(あるいは非関係性)があると感じる。

絶対的確信を常に打ち砕いていく現象、といえばどことなく聞こえはよいのだが、
現実問題、共感覚をもってして日々を"遣り繰り"するには相当な矛盾や葛藤を拭い去れない。
相手の言い分を理解するためにいちいち"共感覚を引き算する癖"がついていたり、
感覚の飽和状態から来る危機を回避するためにその場を思い切り楽しめなかったりする。
言うなれば、感覚を微分法にかけて共感覚の法則に基づいて要素分析するようなもの。

共感覚の法則があるとは言っても実に曖昧なものなのだと思う。何せ、主観的感覚だから。
感情よりも先に来る感覚の一つではありながら、共感覚はありとあらゆる条件で変化する。
私自身の共感覚の種類が複数あるのも影響しているのか、文字の色でさえ変幻自在。
発音一つ一つの微細な変化で赤色が橙色になったり、文字列の違いだけで明度が変わる。
その移り変わりに基準などあったものではない。一期一会の関係性に"期待"する外ない。

研究現場の中で扱われるのは限られた条件内で測れる数字や文字の個々の色彩。
がしかし、自分が生活の中で一文字だけで共感覚の色を意識することはほぼないに等しい。
仮にあったとしても、それはゆったりとした時間の流れていた子ども時代のことだろう。
無論、共感覚一つ一つの要素は言葉を超越するほどに美しい。誰が何と言おうと、
自分の中でのそれらの価値が普遍だから、日頃感じる葛藤も多少は洗い流せる。

文章を書く時、こんな色合いだとこれこれの意味になる、と色だけで考えてしまい、
しばらく経って、しまった!と反省することがよくある。たまたま私の共感覚の中では
日本語の色彩が淡く、もふぁもふぁ(これ以外の擬音語は見当たらず・・・)しているため、
声に出すくらいに意味に注意を払わないと色だけ並べているひどい文章になりかねない。
思うに、子どもの頃の"未開発な"共感覚の活用法を引き摺っているがゆえの失敗だ。

何度も繰り返し言語を学び直す中で、自分のためだけの"共感覚辞書"ができていった。
辞書と言えども、それは不文法に近いものなので度重なる変化の中で改訂されてゆかれる。
新たな失敗・間違いに直面する度に書き換えられるという、何とも摩訶不思議な辞書。
小さい頃に外国に住み、後発的に言語を学ぶことがなければ辞書の改訂はなかったろう。
いつか完璧に編纂したい、などと目論みつつも、それはないと自らに言い聞かせ続ける。

人ひとりが一生のうちに3冊以上の辞書を書き上げられるはずもなく。共感覚恐るべし。
日・蘭・英、その上に私が言語数を増やしていけばもう制御のしようがなくなってくる。
文字の色のみならばよいものの、五感全体を貫く共感覚など自分にも全く予見し得ない。
つまり、本来は基準を探し求めるためにあるような辞書の機能がそこにはない。
経験則として時々非常に役に立つ、その程度の職能しか兼ね備えていないのだろう。

いつもは頭の右隅に隠しているオランダ語をたまに取り出すことにしている。
共感覚に賞味期限などないが、私が発音を忘れていれば多少変色しているはずだから。
昔もこうだったっけ?と訝りつつも、これでよいのだと"彼ら"を元の寝床に戻してやる。
海を渡った時にしっかりと目を覚まして旅の友をしてくれるのならばそれで十分だ。
どこかで途切れた記憶の向こうで出会った彼らには今もなぜだか恩義を感じる。


Dutch alphabet
  1. 2008/05/06(火) 00:38:05|
  2. もじいろ おといろ
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178773

Author:178773
ある共感覚者のひとりごと。

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