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私は梅雨の時期や夏のシーズンが苦手だ。気圧の変化に非常に身体が弱いこともあるが、
それに伴って全身の感覚が鈍くなる。当然、共感覚の"質"も悪くなるから心地よくはない。
感覚が暴発するといえば良いのか、梅雨に共感覚アートを拵えた記憶さえないほどだ。
遠い昔にオランダに住んでいた時も雨の多い季節は終始何かに悩まされていたのだから、
何も日本の気候がいけない訳でもないのだが、いろいろ思い返すことの多い時期でもある。
物心ついた頃から喘息を患っていたこともあり、低気圧とは本当に仲が悪いのだな。
雨が降る前の鬱陶しさ、触覚に視覚共感覚を強く感じていた子どもの頃は不快で不快で。
言葉も上手く通じない異国の地でそんな複雑系如き現象を説明できるはずもないのが現実で
神経がパンク寸前になるとよく喘息発作が出ていたものだ。今思うと懐かしい苦しみ。
ゼーゼーと鳴る奇妙な呼吸音、薄く青白い筋のようにして私を取り巻いていたっけ?
喘息だけではなかった。オランダで必死に生きている中で片頭痛も患うようになったいた。
これはmomからのもらいもの。ずっと後になって弟もそうなのだと知って何だか嬉しかったよ。
不謹慎だろうが、一匹狼の私にも家族に仲間がいたと思うと心強い。共感覚はなかろうと。
しかし、発症した時期が言葉の不自由なオランダ時代。異文化のシャワーの中で生きること、
言語力の無い私にとってはそれは大きなストレスだったのだろうな。あ、今もそうかしら。
これが我がままなのか、それとも正当な権利なのかは誰にも判断のつかぬことだが、
日本人として西洋社会に生活していると、ここから先はアジア人として譲れない領域だ、
とアイデンティティーを固辞したくなる場面にも多く存在するのは間違いないことと思う。
私の場合、帰国したらしたで今度はオランダに住んだことによって培われた自己もあってか、
もはやどこに住んでいようと"異文化"からは逃れられない生き物と化してしまったのね。
感覚の飽和状態に陥り易い雨季、洋の東西問わず、私を悩ます存在なのでありましょう。
一頃経験した重い鬱も、いつの間にかふわっと舞い戻ってきた片頭痛もそんな背景がある。
医学的には共感覚も鬱も片頭痛もセロトニンの作用だとする説があるのも理解できることで、
これらの現象が、あたかもシーソーの如く自分の脳内で起こっているのかと思うと何だか妙だ。
自然(じねん)の概念に裏打ちされたものかと考えると、痛みも許せてしまうことがあるもの。
晴耕雨読の文化。なるほど、納得です。酪農国オランダの人々も、そういやそうでしたわ。
雨の日に友達の家に遊びに行くと、暗い居間で分厚い本を読むおばちゃんの姿があったものよ。
日本よりもよっぽど気紛れな天候のあの国。忙しさよりもゆとりを愛するその心に我も学ばん。
生き急いだら、また空に虹の輪が広がって視界もろ共消え去るというのにいったい何が欲しい?
どこにいようが七つの海の呪縛から解かれぬ愚か者、しばし書の中に潜り込んでみましょうや。
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- 2008/06/22(日) 17:07:44|
- 海をわたる
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