seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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愉快な花火を打ち上げろ

月曜日の朝になると、私は深緋色の温泉に飛び込むことになっている。奇妙だろうか。
その上、太陽の居る位置や月の光によって身体が色相の間を彷徨うこともあったりする。
地震が来る前には黄色く激しい光が世界を遮るように感じられたりもするし、雨の前には
橄欖色の苦味が鼻の奥から背中にすり抜ける。書物の文字は夕暮れのような挿絵となり、
音楽を聴きながら方解石の中に迷い込んだのかと錯覚することも。これらは夢ではない。

共感覚者が感じていることを言語化すれば、いずれ"比喩"が邪魔し始めるのだと感じる。
もちろん、私が知覚している共感覚は比喩ではない。情景的なメタファーを好む人ならば、
共感覚について理解していなくてもある程度までは「うん、うん、そんな感じ分かるかも」と、
頷いてくれるのだが、当事者としての本音を言えば、さほど嬉しい共感のされ方ではない。
と同時に、数々のジレンマを覚えるものだ。共感覚をどう表現すれば納得が行くのだろう。

割に知られている共感覚として文字→色、音→色、時間→色といったカテゴリーが在るが、
私の場合、これらに感じている色彩というのは「なんとなく」「そんな感じで」「似合っている」
の度合いを遥かに通り越して、然も激しい光として身体や精神が認識している訳である。
味や香りにヴィヴィットな色彩や形状を感じているともなれば、下手に同調してくる者も無く、
知覚現象然として扱ってもらえるというのはアンフェアでもあるが、兎に角現実は見苦しい。

文化的次元から非共感覚者が共感覚を理解しようと挑む時、こういった障壁にぶち当たる。
いや、彼等はもしかすると試練に遭っていることにすら実は気付いていないのかもしれない。
比喩という類稀なポケットに滑り込んで、いつしか安楽椅子の上で共感覚の夢を見るために
目を閉じてしまわれては困るので、心地良くなった彼等の前で花火を打ち上げたくなるほど。
共感覚者自身の体験談でもっと驚いて、それから冷静に考え直してほしいとも思うものだ。

共感覚は極々日常的な感覚であり、私は"・・・のような"という表現を多用しているにしても、
決して直喩表現の一端としてこの言葉を上に被せているのではない。それこそ喩えになるが、
風の強い日に空に浮かぶ雲を見ながら「何々形の雲が幾つ」などと表現出来たものだろうか。
時々刻々と変化していく共感覚はそういった曖昧さも伴っているがために「これ」とはならず、
"こんな感じ"としてそこに"居たり"、自分の中に"在ったり"、或いは"感じられる"ということ。

実直に共感覚を表現する人や比喩表現が苦手な人にとって、共感覚は相当理解されづらい。
一度でも共感覚者同士で対話すれば、逆に世間の無理解の溝の深さを現実として感じるが、
なぜそこまで他者に伝わらないのか、ある程度の尺度を認知して安心出来る部分も在ろう。
その差異を知ってからの行き先は人それぞれだと思う。ひたすら無理解に苦しむ人も居るし、
開き直って変人の振りをしつつ常人の生活を満喫し出す人も居る。要は度胸なのかもしれない。

私自身に関して言えば、海外で言語的マイノリティだった時代には"言葉を知らない"ことで
逆に誤解の数が半端なく多いために、共感覚的な擦れ違いも何もかも"玉石混交"だった。
自国に帰ってからの方が余程"ヘンな異邦人"になった訳であり、いじめや不登校と言った
社会的な"マイナス要因"も当然経ている。だがしかし、何にしても経験は経験ではないか。
共感覚等への誤診も合わせて言えば、打たれ続けて初めて見えた地平も在るのだから。

概して、共感覚者としての知覚経験はユーモアと共に過ごすことで守られる可能性が高い。
単純にふざけるのとは異なり、理知的なユーモアが自分を陥れるようなことはないはずだ。
そして、共感覚現象全体のイメージを"状態の相似形"として比喩に置き換える代わりに、
知覚そのものの姿はストレートに伝える。そんなワンクッション置いた表現技法もあろうか。
幾つかの反省はしつつも、こう思える。共感覚者の感性を活かすことも、きっと幻ではない。

Het is waar
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  1. 2009/07/28(火) 00:04:02|
  2. 共感覚/synaesthesia
  3. | コメント:0

眠り姫のその後

共感覚が消える・戻るということは、通常ならばあまり想像しないことなのだろうと思う。
無論、これには訓練云々で共感覚を造り出すといった意味合いは当然含まれないので、
成人以後も自分の共感覚を認知している人の場合について今ここでは言及している。
第一、人工の共感覚の存在それ自体私は信じていないし、仮にそれが在ったとしても、
感性世界に影響を及ぼすほどになるだろうか。共感覚とは、"記憶"でもあるのだから。

言うまでもないことだが、生まれてこの方共感覚のない自分を知らないような人にとって、
総ての共感覚が消えた状態を思い浮かべることは困難極まりないし、それで自然なこと。
自分の居る地点からしか物事の現実は見えない訳であり、敢えて"自分を消す"という
不合理な考え方は持とうとしないものだろう。何もこれは自己中心的という意味ではなく、
ただ単に、経験のプロセスがそうさせている話。そんな状態が相応しいのだとさえ感じる。

幾度となくここでも書いたことだが、私は共感覚などを誤診されたがために共感覚どころか
人間的感覚の大半を失った経験がある。これを単純に悲劇云々で片付けるのも馬鹿らしく、
今では逆に共感覚について思惟する際の材料としているほど。ともあれ、災難では在った。
通常在って然るべき感覚が失われて行く・戻って来る過程をまじまじと見つめ直すことには
ある種の危機感も覚えるものである。かと言って、他者にその意味が分かったものだろうか。

経験者でもなければ、共感覚が失われた状況について想像して欲しいとは普通思わない。
なぜか。共感覚者の持つ感性の根源を壊してもらいたくはないからである。当たり前だろう。
時折「話してください」と申す方々にも対面するのではあるが、決してそんな真似は出来ない。
そんなものでブログに書くような内容は、あくまでも表層の部分としてであって核心ではなく、
共感覚を感じる側として話すことにしている。そうでなくして、共感覚者でもないのだろう。

概して言うなら、共感覚者は社会の中で共感覚について語る・表現することを避けてしまう。
非共感覚者の無知と偏見がその理由だろう。が、ある意味ではこれは正しい判断とも思える。
表現してとことん迫害された私からすれば、表出しないように心掛けるのも手なのだろう、と。
しかしながら、隠すことに必死になっているとそれまた感性を押し殺してしまわないのか。
なぜ共感覚は目立つのだろう。はたまた、共感覚は特別視するものなのか、とここで思う。

私の中では共感覚も感覚も別個のモノではなく、生命活動の一環としてただそこに在るだけ。
兎角、マイノリティであることを意識すると共感覚を特殊なものとして扱われるのが普通となり、
当事者自らが特別な感覚であるかのように錯覚してしまうものなのだろう。しかし、どうだろう。
本来、共感覚者の中で普遍的な存在であるならば、それで通しても構わないことがあるはず。
自然な感覚だと自負するならば、下手に優越感に浸るのもおかしな話だと私は考えている。

共感覚を特殊能力の如く持ち上げる見方にも私は反対であり、10や20以上の共感覚と共に
日々過ごしていようと自分が死すべき人間なのはいつまで経っても変わらないことと感じる。
では、なぜ共感覚を失っていた時期に苦しんだのかと言えば、それは感性の問題となろう。
子どもの時に共感覚者として育ち、そのまま成人すれば人格も共感覚と一心同体ということ。
何の理由もなく自分の体が不自然に崩されていくのを理不尽と感じない人が居るだろうか。

共感覚が消えるのも奇妙な話だが、戻って来るのはより一層理解に窮する話ではないか。
消えた表現力が努力なしに元に戻る、望んでも帰らなかった色彩感覚が使えるようになる、
SFの世界で私が戸惑っていたことは今となっては懐かしい印象さえ在る。だからと言って、
共感覚者自身の中で眠った感覚が目を醒ますだけなので、異質な感覚とは思わなかった。
やはり、共感覚は記憶なのか。それとも何なのか。感性との問答を続けて行きたいものだ。

Een kort en lange verhaal
  1. 2009/07/25(土) 13:44:47|
  2. らせん と じかん
  3. | コメント:0

塗りムラの姿は隠されるのか

ふと思い立って小学校の頃の作文ノートを開いてみたら、何とも奇妙な気分になった。
清書したはずなのに主語の居ない文章、いったいどんなつもりで私は綴っていたのか。
舌足らずの3歳児がそこで一生懸命に話しているような状況。切なくて、とても懐かしい。
こうして今ブログを書いていれば、どのようにして歩いて来たかさえ伝わらないだろうし、
何事もなく到達したはずだと自分でも信じたくなる。実際には道の数が増えただけでも。

私が虫食いパズルのような作文をしていたのは何も学校に上がってすぐの頃ではなく、
小学校3年生も終わろうとしていた時のこと。当時の記憶は鮮明に残っているのだが、
あれらを思い出せるのは楽しいからではなくただ単純に苦しかったからなのだと感じる。
そして、今も厳然と対面する問題であるがために、決して忘れることがないのだとも思う。
表面的な"何か"が如何に脆い存在なのか、つくづく考えさせられる事象でもあろうか。

ちなみに、上述した作文ノートとは、日本語ではなくオランダ語で書いたものである。
唯一私が"まともに"評価を受けたのは詩を書いた時。何もこれは偶然ではないだろう。
読字障碍と一口に言えど、現実には様々なタイプが存在していて"これだけ"と言った
明確な境目のない障碍なのだと思う。これは共感覚の従兄妹のような関係にもあり、
幾つかの層に亘ってグラデーションが重なって出来る、ある種の"環境条件"と感じる。

普通の文章で綴るとなれば、当然日本語の方が"共感覚的中率"は格段に高くなる。
逆に、韻文ともなれば漢文やオランダ語の方が私の場合には都合が良く、運も良い。
共感覚としての色彩の並びを考慮すればこれは至極道理に適った話なのではないか。
動詞の活用語尾の色に法則があること、韻を踏めば色が同じになること、何れの場合も
仕事量が軽減されるので言葉の意味そのものに集中出来て、非常に効果的なのだ。

同じ詩の範疇であっても、逆に日本語の俳句・短歌が含まれないことを考えるならば、
私の場合には共感覚の情報量の多さが逆に言語理解を阻んでいるという事実も判る。
言語の得意・不得意というのは、何も文化的な条件ではないのだと私は考えており、
経験上、人の倍の努力をしても成し得ないこともあれば、苦労なく達成することもある。
ヒトの持ち得る能力というのは、実際には"断面"の偏り方を見ているだけなのだろう。

共感覚を知覚する、という始原に立ち戻るならば断面の切り方には慎重になるべきか。
というのも、共感覚を言語変換するからには現象的な脆さも考慮に入れねばならない。
一方で、文字が歪んで感じられる私からすれば共感覚は"感覚以上の感覚"でもあり、
時に不確かな様相を持ち合わせてはいるものの、信用出来る相棒とも言うべき存在。
本人にとってどう感じられるのか、結局はそこに論理が絞られていくのかもしれない。

学校という空間から遥か遠ざかろうという時期に共感覚を知り、読字障碍はつい最近。
今だから冷静に見つめられるのか。いや、心の穏やかでない自分によく遭遇している。
話すように書け、と必死に頭に言い聞かせながら文章を綴る日々は現実のものである。
方程式の解き方を順繰りに覚えて来ただけなのだろう。未だに筆の運びはぎこちない。
感じることと表現することとの隙間を埋めていくこと。何人にとっても恒久の課題だろうか。

Welke wereld heb je gezien?
  1. 2009/07/21(火) 01:03:23|
  2. もじいろ おといろ
  3. | コメント:0

地下世界からの主張

文字や言葉の感じ方には、人口の数だけ方法論が存在するのだと私は常々感じている。
何もこれは共感覚的な意味合いだけではない。書き方、読み方、使い方・・・言語は無限だ。
しかしながら、普段の生活の中ではこの"不都合な"現実の姿を見過ごしてしまうこともある。
というのも、人間同士の対話は共通項を当てにしなければ成立しない。相手にどう伝わるか、
これを考え始めると、途方もない宇宙の果てに飛ばされたかのように錯覚することもあろう。

この世の中に、自分の操る言語表現が絶対的で完璧なものだと思える人はいるのだろうか。
当然ながら私はこれと正反対の地点から世界を眺めている。そう、"絶対的"に自信がない。
それなので、こうしてブログを書いていながらも自分の文章に対する愛着は一向に持てず、
不確かな共感覚の感触を頼りにした文章が表面では成立していることが不思議でならない。
言うなれば、言語に関して自己愛がなさ過ぎる。かと言って表現を止めようとも思わずにいる。

小さい頃からずっと文字が読み難かったにもかかわらず、なぜ最近まで沈黙していたのか。
例えば、他者の書いた内容と自分の思考・経験することとの関係性が理解出来なかったり、
空間的に感じる自分の考えを二次元世界の文字に落とし込むことにいつも難しさを感じる。
要するに、私は知識を基に自分の感覚や障碍を認識出来ずに過ごしていた訳なのであって、
それを言葉に出来たなら、苦労という苦労もなかったかもしれない。偶然、且つ必然とはいえ。

そもそも、ディスレクシア(読字障碍)という事態の説明そのものが未だに私はしっくり来ない。
なぜなのか。文字が"正常に"見えている人の視点からの説明がほとんどだからだと思う。
後天的な疾病や片頭痛などの一過性の症状によって文字が読み難くなることを参考にして
初めてこの障碍の実態が世に知れ渡ったことからするに、生まれ付き読み難く、成長しても
ずっとその状況が変わらない人にとっては、訴える方法が最初から存在しないとも思えて来る。

私からしてみれば、時々読み難くなる程度のディスレクシアは距離感を覚える世界と感じる。
決して大袈裟なのではなく、落とし穴の中から上に広がる空を眺めていた私からしてみれば、
地上の世界も見知っている人々は別世界の住人と思われる訳である。果たしてどうだろうか。
言わずもがな、共感覚者が自分の共感覚を認知するまでの期間も同じような事象かと思う。
無論、共感覚は感じるもので、出来る・出来ないの話ではないがその窮屈さは似ていよう。

大方の人間には文字が整然としていると知ってから、共感覚の見え方に興味を持っている。
他の共感覚者との交流や国内外の文献と通してそれはたくさんの事実を知ることとなったが、
あまりにも自分の文字の見え方に一般性がないことに、正直、驚かずにはいられなかった。
大きな発見だったが、一時は自分の感じる文字の色が本当に共感覚なのかと疑ったほど。
一言で言えば、私は色の道草を喰って識字のプロセスで寄り道し過ぎているのだろうと思う。

もう今となっては共感覚者同士で知覚形態が違っていると知っても、そうは動揺しない。
寧ろ、いろいろ在ると分かった方が嬉しいし、思考の手段にも幅が生まれて来ると感じる。
元来、人間が創造的な素質を兼ね備えていなかったらどれほど人生つまらなかったことか。
幾つ在っても現実は現実。世界の認知の仕方を在る・無いの二項対立で捌けるはずがない。
言語に在る相対性を忘るべからず、そんなことを文字の共感覚が我々に語るのではないか。

Wie, wat, waarom?
  1. 2009/07/17(金) 00:45:17|
  2. もじいろ おといろ
  3. | コメント:0

マイノリティを生きる意味

共感覚者として生きているのは愉快なこともある反面、悲しいことにも度々遭遇するもの。
"プラマイゼロ"なら許してやろう、と思うことで何とか遣り過ごすことも結構あったりする。
どのような出来事に負の感情を背負ってしまうかは、共感覚者同士で共通項もあるだろう。
その一方、マイノリティとして生きることへの認識のヴェクトルは個々人で違っていて当然だが、
その差が歴然としていて驚くことも時々ある。どんな意識が、どのようにして生まれるのか。

多くの場合、共感覚者自身が"共感覚"という名称を知るのは衝撃的な出来事かと思う。
子どもの時にごく自然な形で家族から教えられるならば、それほど幸運な話もないのだろう。
がしかし、現実には偏見や中傷に遭ってから自分の感覚名と遭遇する者もいる訳であり、
共感覚者を認知することや、その後の心構えを築くことが苦痛となる人もそれなりに居る。
マイノリティを認知するプロセスというのは、思いの外複雑な構築物なのではないだろうか。

兎角、出る杭打たれる日本社会では自らが少数派に加わることすら受容出来ない人も多い。
他者と同じものを共有したいのはヒトとしての在るべき本能の一つとも言えるが、一方で、
あまりに集団の論理にこだわり過ぎるのもおかしな話だと私は思う。孤独も愛すべき存在。
事物の"状態"にはバランスというものが付き纏うはずであり、固有性もそれ相応に必要だ。
自分が共感覚者として生きるのには何らかの理由がある、そう考えると私は気が楽になる。

思い返してみれば、私が共感覚を知ったのは衝撃的どころではない瀕死の環境下であり、
"ふざけるな!"と叫びたかった。きちんと共感覚体験を他者に話して来たにも関わらず、
誤診され、体もボロボロになっているのに誰も教えてはくれず、結局探し当てたのは私自身。
何でも、私がカムアウトしても大多数の者は"ビョーキの延長"と疑って信じちゃくれなかった。
そんな訳で、それ以上落ちていく場所もなかった私は逆に奮い立たされたのかもしれない。

他者に有無を言わせず、"あれが共感覚者だ!"と信じ込ませるほどのヤツになってやる!
と密かに意気込んでいたのだろうか。もちろん、当初は恐怖心も強いので上手くは行かず、
自分がどうすれば"共感覚者として生きる意味"を証明出来るか、からっきし自信がない状態。
結局のところ、誤診されるよりもずっと前から続けていた共感覚アートの制作に立ち返ることで
ヒトとしても共感覚者としても息を吹き返すことが出来たのではないかと、今になって思う。

元来、帰国子女となった時点でマイノリティとしての人生を歩み始めていたこともあってか、
私の場合には"一人"になることにあまり躊躇いがなかった。一人の楽しさも味わいたいし、
トイレも墓場も手を繋いで行くようなニンゲンにはなりたくないのは常識の範囲内だと思う。
周りに理解されないことで不平不満を言い始めたら、恐らく私はこの星を追放されるだろう。
外国に暮らせば他者からヘンと思われることには慣れるものであり、辛抱強さも養われる。

共感覚者でありながらこんなことを申すのは些か愚かとも思えるが、共感覚の理解自体、
そこまで完璧なものとならなくても良いと私は考えている。ではどこまでを目指すべきか。
知覚現象としての正しい認知、現時点ではそれで十分にさえ感じられる。というのも何も、
共感覚は当事者ごとに感じるものも表現するものも異なるので、非共感覚者の側に対して
事細かに想像してもらうなど、どだい無理な話。共感覚者同士でも、誤解し合うのだから。

ある程度強くないと共感覚者は生きられない、これは物理的にも心理的にも当て嵌まる。
かく言う私も、共感覚が多過ぎることで体を壊すこともしょっちゅうである。だからと言って、
共感覚者を"引退"しようとも思わないし、そんな我侭は許されていないとすら思えて来る。
死物狂いで共感覚を奪還したのも稀有な話だが、その後に卑怯な真似が出来たものか。
立ち上がることなくして共感覚が世に知れ渡ることも無く。彼方も闘ってくれるだろうか。

Anonymity in the forest
  1. 2009/07/15(水) 00:23:27|
  2. 共感覚/synaesthesia
  3. | コメント:0
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