seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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認知は悲しみを生むものか

一見して、社会では非共感覚者vs共感覚者という構図に出くわすことの方が余程多いものだ。
当事者側からの視点を加えるならば、これこそは"孤独"の2文字を浮き彫りにする事実である。
「もし世界が100人の共感覚者の村だったら・・・」という(妄想如き)想像は、私もしたことがあるし、
惨いほどの悲しみを抱えた共感覚者なら、一度や二度は思いを馳せる"空間"なのではないか。
隠された感覚とはいえ、現実に共感覚者が五万と居るのなら、これも夢ではないかもしれない。

そこで私が思うのは、共感覚者同士には何か"特別の"感情は存在するのだろうか、ということ。
結論から言えば、我々とて単なる人間であり、社会的な関係性も至って普通だということになる。
共感覚者同士の会話に何か呪文が隠されている訳でも、儀式が存在する訳でもないのであり、
ただ単に、"お互いの感覚を許す"という暗黙の了解以外には然したる決まりもないかと感じる。
逆に言えば、自分の知覚世界が絶対だと思い込む人間にとってはこれは"破滅"にもなろうか。

兎角、共感覚者=マイノリティとなる場では「キモイ」だの「胡散臭い」という印象を与えがちな
この知覚現象であるが、共感覚を感じる者たちが集うとなれば、異端視する対象が変って行く。
何せ共感覚者同士というのは、「同じ感覚」と呼ばれるものを互いに感じていながら、あまりにも
その"同じ"の意味に幅が在るので、"結節点"を持たない会話を続けているようなものなのだ。
どこまでもオープンエンドで、果てを知らない世界に出会う訳である。これこそは、"奇妙"だろう。

これは何の不思議もない事実であるが、共感覚の特徴・種類・感じ方・使い方・・・というのは、
それこそ、個々人で多様な姿をしている訳なのだ。私にしてみれば、非共感覚者の感覚にも
一定以上の驚きを覚えるものだが、毎度、共感覚者には驚き以上に感銘を受ける程である。
決してこれは誇張ではない。自分にとっての"普遍"が打ち砕いてくれる仲間の"名言"には、
何とも形容し難い感覚を覚える。それが単なる共感を超えた代物なのは、間違いないだろう。

共感覚者、ということは私とて日常生活ではほぼ口に出さない(ここにはたんまり書くにせよ)。
片頭痛や読字障碍がこれに絡まって誤診されたことも有ってか、どう説明したら良いのかが
実は分からなかったりする。説明出来るほどの知識と言葉は用意していても出来ず仕舞い。
なぜなのか。別に自信が足りない訳ではない。純粋に、これは想像出来ない領域だろうと
どこかで悟ってしまうということ。"経験値"なる言葉が頭を掠めると、やはり黙るしかない。

無論、"同じ"共感覚者であっても、私の感じる色や形の見え方は"許されて"はいるにせよ、
分からないままかもしれない。これは言い換えるなら、私も同様の"盲点"を持つということだ。
これは、文字の総てに共感覚を感じるとか、総てのモノに色や人格を感じるといったような
絶対量的な話ではなく、どちらかと言えば"相対的な"意味での盲点であり、非常に複雑だ。
共感覚者同士で"共有"している対象が存在の意味論の範疇だという事実が見え隠れする。

自分にしかない、或いは"稀少な"共感覚を感じること、これは時として葛藤も生むものか。
今の私にしてみれば、これは孤独やら使命感なんぞ言う、陳腐な言葉で片付けてはならず、
それらを「如何に説明するか」よりも、"如何に深く感じているか"自分で実感し続ける方が
余程感覚そのものに忠実で居られるのではないかと思うところ。過去には、自分と"同じ"
という響きに魅惑を覚えた時期もあったが、感覚の哲学をそこまで薄くしては悲しいだろう。

別段、他者に共感覚を否定されたことがあるからいって、それが人生の総てではない筈だ。
感覚そのものを否定どころか"抹殺"された身としては、勿論怒りを感じたこともあるのだが、
その負の経験を仲間のために活かす方法はないだろうか、と近頃漸く気付いた訳である。
自分や相手が共感覚者だという現実は、現代社会でも当然認めて然るべき事柄かと思う。
問題なのは、"知る"という類稀な体験を如何に迎えるか、という潜在性の行方ではないか。

Coincidence in the Air
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  1. 2009/11/27(金) 00:41:53|
  2. 共感覚/synaesthesia
  3. | コメント:0

許された色彩に問う

文字→色について、周囲の共感覚者と対話していると、溢れんばかりの疑問に遭遇する。
ヒトはどのようにして文字を見たり、言葉を理解するのか、また共感覚はどう係わるのかetc...
"遠くて近しい"他者を知ることが自己理解につながるのは紛れもない事実だが、ある意味、
多様な共感覚(者)の只中に在っては総てが飽和状態に飛ばされたかのような心地にもなる。
それが文字→色という、一見"有触れた"様相を持つ共感覚であっても宇宙は果てを知らない。

あくまでも自分の場合だが、文字色=言葉そのものであり、色がなければ意味を成さない。
言語的な内訳で行けば、幼少期に生活言語として学んだ日本語・オランダ語に関して言えば、
色彩のみならず、形で文字を読もうとする傾向もあるが、私にとっては逆にややこしい事実か。
何しろ、形→音→意味と理解するプロセスが"永久の通行止め"を其処此処に抱えているため、
原感覚的な文字へのアプローチそれ自体が、大よそ言語機能として作動してはいないのだ。

先に挙げた"宇宙語"を平坦な"地球語"に置き換えるなら、読字障碍が文字の形そのものの
理解を困難にしているということになる(視覚的にも、音韻的にも字形→音には距離を感じる)。
"話せるのに書けない"現実も、実を言えばキコクの3文字で私自身ずっと片付けてきたらしい。
知覚的な、すなわち先天的・遺伝的要素による特徴だとは考えもせずにいたのは妙な話だが、
恐らくは、ヒトの認知機能になど目にもくれない日々を送っていたことがその素因ではないか。

というのも何も、日本社会でキコクの3文字の"毒素"があまりに"効果抜群"なこともあってか、
思春期特有の自己認知の問題に関しても、「多分、これもオランダで"もらった"何かだろう」、
程度の意識で須く認知したつもりになっていた(これで私の能天気、いい加減さもバレてくる)。
実際、オランダの学校教育によって私の共感覚が死なずに済んだのは、彼等の文化土壌が
私の感覚世界を丹念に守ってくれたこともあるが、そうは言っても、根本は別の空間に在る。

帰国子女というのは、マイナーな国に行けば行く程、"強毒性"の素質を育ててしまうのか、
通常共感覚者が抱える孤独感の幾らかを、私は知らずに(或いは破棄して)今に至っている。
本来なら共感覚者の苦労として数え上げられる筈の部分さえ、私は"オランダ帰り"とみなし、
周囲もそう信じて来たのではないか。それがゆえに誤診に遭ったりもしたにせよ、共感覚や
読字障碍といった側面は、20代後半になった私に思いがけない"啓次"を与えてくれた訳だ。

文字→色の話に話題を戻すと、私が英語を如何にして学んだかは大よそキコクらしくない。
確かに外国語の発音を聴く基礎だけは小さい頃に身体が覚えた要素だろうけれども、現実、
話し言葉と書き言葉には、言語に関係なく"国境"を見ている私は実に奇妙な路線を選んだ。
"文字色で読み飛ばす"という反則技を、いったい誰が考えるのか。私以外には聞きもしない。
共感覚の色と言葉の意味を繋げることで、文字の形の歪みに気付きもしなかった訳である。

これは高校卒業後の浪人時代、夜更けに暗がりで"毒書"する中で編み出した抜け道であり、
どこの参考書にも書かない方法(いや、書けない)。何せ、文法を無視するのが鉄則なのだから。
言付けをきちんと守るような秀才に馬鹿呼ばわりされても構わないが、不必要な文字の色を
"適度に見落とす"ことで、脳に負担の掛かる読字作業を多少なりとも"合理化"したということ。
後に読み方を改良するまで逐語訳が出来なかったというオチはあるが、それで総て事足りた。

こういうことを書くと、あたかも共感覚が優れているかのような印象を与えてしまいがちだが、
他者と決して共有することが出来ない手法ということを承知の上で私はこうするだけである。
共感覚で、頭が良くなる、記憶力が上がる、といった上乗せされるポイントは皆無に等しい。
それに現実を申せば、元々、文字→色や文字の歪みによって私は夥しい片頭痛を経験する。
人と違うだけでなく、痛みをも覚悟の上での独自の読字法は、然も毒々しい負荷を併せ持つ。

"What is your colour?"と仮に色で読めば、音としては「ワ、ヨ、コゥ」程度しか聴こえない。
色彩で意味を理解し、そこから初めて発音に繋げ、再び発音の共感覚で言語理解を強め・・・
といった迷路のような道具を使っているのは、今此処で言語化してみるとどうもみすぼらしい。
がしかし、私はこの方法をこの上なく愛している。なぜか。誰にも邪魔されずに済むからだ。
人と違って生まれたにせよ、許された感覚としての共感覚に有難みを覚えるのはこんな時か。

Ja, inderdaaaaaaaaaaaaaad
  1. 2009/11/23(月) 00:28:46|
  2. もじいろ おといろ
  3. | コメント:0

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Author:178773
ある共感覚者のひとりごと。

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