seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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ファンタジアよ永遠に

共感覚を普遍的なものとして捉える向きもあれば、特殊な現象として考えるものもあるようだ。
果たしてそれはこの私からしてみればどちらでも無く、どちらでもあると言うことが出来そうだが、
一体全体、共感覚者は自らの感覚を社会にどう認識して欲しいのか。複雑、且つ微妙な論題だ。

こうした話題は、それこそ当事者個々人で異なるものであり、一つとして同じ意見はないだろう。
そして、それらの思考の拡がりは敢えて一つの箱に押し込めるものでもなく、その必要もない。
感覚の差異のみならず環境要因の問題も在ろう、どれが正攻法で、どれが異端だとも言えない。

普段から孤独感を味わっているからと言って、当事者同士でやたらと共感し合う必要もなければ、
逆に離散性を過度に求める意味もないだろうと私は考えている。それにしても、此処で問いたい:
"ありのまま"とは、如何なる状態を指し示すのであろうか。其れの持つ意味とは果たして何か。

常日頃から、我々は『ありのままを信じたい』等と言いはするものの、案外"為ってない"ものだ。
私思うに"ありのまま"とは、常時揺れ動く"何か"の集合体でもある上に、人それぞれの感性も違う。
概して言えば、そのままの共感覚を(殊に他者のそれを)理解するなど曖昧過ぎて難しい気もする。

では、当事者・関係者間での歩み寄りを止める必要があるかと言えば、それは話の筋が違う。
曖昧模糊とした課題に取り組んでいる自覚を初めから持つなら、何のことはないのかもしれない。
自分には総て分かる、と構えてはテンで可笑しな話になる筈だ("完璧"とは、第七の感覚である)。

他者の知覚についてあらゆる思考力を働かせて想像すること=理解すること、では断じてない。
しかし、自分の感じ方をよく反芻した上で想像力を働かせるのには"完璧"を超えた良さもある。
そんな時には人の強さや弱さに自然な形で出会えるが、これは或る意味での幸せではないか。

innnnnnn...
  1. 2010/11/05(金) 21:22:25|
  2. 共感覚/synaesthesia
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