seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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疲れた夕べに

人は誰しも"苦手"なことがあり、他者には隠したいような弱さを持つものなのだと思う。
時に自らのそんな状況を悲観もすれば、解決を目指して努力を重ねることも在ろうか。
然し、何とかしたいと思ってはいても何も出来ない、という文脈も往々にして生まれ出る。

はて、彼方は閃く人間だろうか。仮にそうならば、どんな時に閃いているのかと尋ねたい。
総てが絶好調の時にアイディアに恵まれる者もあれば、どん底に在りながらも閃く人も。
この私には、恐らく後者の側の経験が殆んどである。幸せな時は愚かさに埋っているのか。

これは言い換えるなら、"逆転の発想"というものなのだろう。何時になく生き生きした、
それで居て緊張感を持った閃きの数々。言うまでもないが、私は"彼ら"に救われた来た。
そうした助っ人の影に共感覚の光が木魂しているのは何も誇張ではないと考えている。

調子の良い時に上手い事をぽんぽん思い付いて、実行に活かせるのは勿論益となる。
大概、人はピンチに立つとそれとは逆方向へと暴走して転んでしまいかねないものだ。
どうだろう、世間で言う「モチベーションが下がる」などと今風に言えば格好がつくのか。

こんな時、私は感覚的なものを優先して或る種の"逃避"に走っている気がしなくもない。
音楽を想起して音と形の世界で息抜きしてみたり、或いはそんな状況下では落ち着いて
文字の意味も読み取れないことからと、逆に文字の色から想像力を羽ばたかせたり・・・

不謹慎極まりない奴だと思われても仕方ないが、何もしないよりかはマシな気がする。
恒常的に在る感覚の世界に立ち返ることで何かを閃くのは、何故か心地好いものである。
半ば妄想に近いアイディアであっても、不思議と生命力が在ると感じるのは気のせいか。

無意識の内に自らの感覚を研ぎ澄ましていたのは、今になって思えば苦境の最中が多い。
余りに恵まれ過ぎて者達には、逆境の中を生きることなど耐え難い苦痛そのものだろう。
或る意味で、"最底辺"を経験するのもそう悪くはない(トラウマを克服すればの話だが)。

元来人は強く出来ているが、痛いことや不利なことから避け出すと何故か逃げ癖が付く。
好きなことばかりして居たからと言って共感覚が衰える訳でも何でもないとはいうものの、
たまには苦手なことに挑戦して、客観的になるのも良いのだろうと今の私は考えている。

ドMだからこう発言する訳ではない。人と共通点が少なく、独自の生き方をしているからだ。
他者と距離感の有る世界を生き抜くには、閃きが絶対的に欠かせないものと成って来る。
一般には障碍と括られるものも、何時しか柔らかな力として此処に留まってくれたようだ。

timitimitimi
  1. 2010/11/07(日) 22:41:45|
  2. 共感覚/synaesthesia
  3. | コメント:0
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