seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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プロセスを縫って生きる

初めて聴いた外国語の発音をその場で再現することにはそれなりに自信があると思う。
共感覚として知覚した色や形に対して顔中の筋肉がちゃんと呼応してくれるのであれば、
という条件付ではあるが、緊張感を持ってリスニングに臨む時は身体全体で聴くようにする。
真剣になると自然と頬や口のあたりが動き出し、指先が形をつかもうとしていることも。
しかし、シャドウイングといったリスニング技術としての効果はゼロ。意味には到達していない。

一方でそこまで得意ではない聴き取りもある。楽曲の歌詞を聴き取ることなどがそうだ。
共感覚としてのメロディーラインや音色を追いながら音程を把握しつつ、歌詞の色を見ている。
一回でまともに聴き取れたことがこれまでどれくらいあっただろうか?片手の数えても事足りる。
日本語だろうと外国語だろうと、音と言葉の両方まで網羅しようとすれば混乱に終わるもの。
うるさい色の飛び交うカラオケで歌など歌えたものではない。あれだけは本当に御免被りたい。
それ以前に五感で感じる視覚もあるのだから、精々ゆっくり生きて色を楽しんでやろうと思う。

当事者本人にしかわからない共感覚なのだが、孤独な割には出会えるものが多い。
音と歌詞を同時に覚えるのが苦手なのに合唱が好きだったというのも、何だか笑える話。
オランダから帰国後の6年間、合唱を通して日本語の色や形を見て味わっていたことがある。
歌詞を覚えるのが異様なほどに早かったのだが、それは何も記憶力の問題ではない。
音程と一緒に暗譜することができないから、共感覚で"分業した"というだけのこと。

音は音で楽しみたい、そう思うことがよくある。それが言葉であれ、自然の音であれ。
厳密な意味で共感覚なしに音を聴き、尚且つ快感を味わうにはどうしたらよいのだろうか?
共感覚のない世界=死の世界、と感じる今の私にとっては矛盾するとはいえ、夢に見る。
これは贅沢な悩みなのか。共感覚者としての感覚や感性を持ったままには達成し得ない。
私がどんなに想像し尽くしても、それは借り物に過ぎず。虚構では意味がないもの。

それならそうと観念して、唯一無二、この言葉の袂で雨宿りして生きてみようか。
秘められた色に誰が気付くというのか、いや誰も。言葉にせず、色のままであれば
激しい想いも何もかも、社会のシンボリズムから解き放たれて在るがままに飛び跳ねる。
意味が生まれる前の言語、言葉になる前の色彩、そんなものがあってもいいと思う。
ものを生み出すのは何も結果だけではなかろう。中間生成物として生きる共感覚に幸あれ。


彩りは君を想う
  1. 2008/05/12(月) 23:16:28|
  2. おとをみる いろをきく
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