seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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ディテールが教えるもの

"God's in the detail."とは良く言ったもので、人間も空間も細部が生きなければ生命はない。
思えば、大学時代に設計の授業でこの言葉をよく投げられた。無論、皮肉に近い形の表現だが、
デザインの内容が細か過ぎると教える側は"教育上よろしくない!"と突っ撥ねる外ないらしい。
知ったからには知ったなりの建築があろう、と私は当然の如く設計したので知ったこっちゃないが、
建築を学校の中で学ぶまでに待ち過ぎたのだろう、授業は何とも居心地の悪い空間だった。

実際に実務の世界で見たものはその正反対。時間は少なくとも、細部を造らねば業界が止まる。
形や空間に共感覚を感じながら設計に関る、と非共感覚者が聞くとどう反応するのだろうかね?
男ばかりの世界だけに尋ねる機会を逸しているものの、納得の行く答えなど期待はしませんよ。
それにしても、妙だ。作業の精確さはリズムだ、と私が口にしても誰も異論を挟まないのだから。
ま、"モンドリアンっぽく!"なんて上司の言葉を聞くとその場で小躍りしたくはなるものだけどね。

昔、オーボエを吹いていたことがある。こんなマイナーな楽器をなぜに選んだのか?答えは一つ。
45mmの円筒形の音が気に入ったから、そして楽器自体円筒形だから、その親和性に惹かれた。
楽器の形と音の形がてんでばらばらだなんて・・・、私には堪えられんほど悲しい話だろうねぇ。
毎日自分の顔が他人になってしまうほどの恐怖感がある。だがな、これは自分が演奏する場合。
他人の歌声や音楽なら、どんな形だろうが、色だろうが、それなりにイケテる!と思えるもんさ。

中学卒業までの6年間を合唱に捧げていたものだから、大人数での演奏は楽しみと感じる。
がしかし、大勢と言えど建築のようにすべての演奏者の顔も名前も見えぬ音楽、妙な営為だ。
上からの仕事が縦横に跨り、日本ではないどこかで採られた石や木の材から序章が鳴り響く。
建築のプロセス一つ一つに響きを感じて来た私にとっては、気の遠くなるような音楽な訳である。
ディテールに何が込められているか、これを忘れずに設計などできた例がなかったのも真実也。

誰がどこを奏でても、自分がどのように爪弾いても、それが旋律の一部となるのは止められない。
現実として考えるならば、日本のようなアジアの一国では平然と不正が罷り通っているのだが、
これが設計行為の中に組み込まれること、共感覚者の私個人から見るならば音楽の破断行為、
いや、それ以下の事象。断絶することが公然と起こるのはなぜか?答える必要もないことだ。
相手の顔が目の前に見えないこと、あるいは見ないこと、現実、産業とはそのようなものだろう。

各個人が担える分だけの楽譜までしか背負えないこと、これは社会的音楽としての限界か?
レンガ組積造が言わば時間構築の美学であるが如く、物事の臨界点を知ることは興味深い。
それが良いものであろうと、不快なものであろうと、世の中の大概の真実は自己の確信の裏側に
潜んでいる訳なのだから。文字通り、裏切られたとは物事の本質に出会うことに他ならぬもの。
しかし、いつしか人は自己の限界を超えることを学んで行く。と同時に見切りをつけることも。

進化論は最初から信じちゃいないから、自分が猿人類の先っちょだとか考えたことはないものの、
変人類を祖先に持つ変人そのものであることには変わりない。変、gek、crazy・・・どこの国でも
この呼び名は我が代名詞であった。いいじゃないの、モノを生み出すには異端が不可欠だもの。
が、ある時から自分の奇異な面さえ忘れていたようにも思う。敢えて忘れたのか定かではないが、
ヘンがフヘンになったから、あたかも化学平衡のように感じられたのではないか?と今は思う。

共感覚者が共感覚者に出会うということ、これも同じような作用を感じさせる体験である。
誤解を避けては生きて通れなかった個々人が、誤解のない世界に突然入ったかのような感覚。
現実には、人間同士の根本的な関係としての他者理解が物事を進めていくことに外ならぬが、
それはディテールの美しさを如何に突き詰められるかということに全てが懸かっているのだろう。
人間の持ち得る感覚の謎をかくも巧妙に語り出す知覚現象、社会という複雑系に彩を与える。

内臓をえぐり取られるかのような強烈な感動を覚えると、始原に奔ろうとする自分がいる。
人とは何たるや、から始まり、共感覚の永遠に解かれぬ謎の大洋に足を片方ずつ浸けてゆく。
私とて、宇宙の神秘もろくに見えぬ一人間である。せめても、ディテールから歩き出そうか。
未だ結ばれぬ要素だけの世界。誤診を知り、初めて自らを一個の共感覚者として認知した時、
夜の星屑の中に飛ばされたかのように感じた孤独と衝撃。あの感動を忘れた日は一日としてない。

Vragen voor die dagen te komen
  1. 2008/09/08(月) 08:08:08|
  2. 共感覚/synaesthesia
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