seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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マイノリティーへの手紙

この島国から一たび海の外へ出て暮らした者にとって、少数者としての認識は避けて通れない。
無論、例外もあれど、一人間として社会の中に生きるということがツアー旅行と訳が違うのは
然るべき現実なのであり、これが弱者としての自己認識につながることも往々にしてあること。
弱者の視点と言えども、この姿勢が他者に何かを期待できるほどの余裕のある事態でないのは
体験者には自ずと意味がわかるものなのではないか。これは異国に住む・住まぬに関わらず。

日本国内にも地域性というものがあるように、海の外と言えど物事の考え方はそれは多様だ。
他者との関係性の中で築かれた小国もあれば、帝国主義の中でいつしか台頭した国々もあろう。
それぞれの国や地域の歴史性に根ざした文化や言葉、人間性が生まれるのは言うまでもないが、
この総てを書物や数字に変換できた人物がこの世に誰一人としていないのは、ともあれ興味深い。
"努力"の下に体験されたこと以外をも知ったかのように振る舞うのは、ナイーヴ過ぎるのだもの。

マイノリティーとしての自覚、私の中ではもはや消し去る必要もないほどに大きな位置を占めるが、
西欧の小国オランダにいたことも、共感覚者であることも、地球儀の中ではほんの小さなこと。
この構成的ディレンマから逃れて生きることは、もはや今となっては自ら望んではいないものの、
現実を知らしめたいと思うのは至極当たり前の人間的な感情であることには他ならないと感ずる。
序に付け加えれば、誤診に遭ったのもマイノリティーゆえ。一度、多数者になって考えてみたいさ!

生憎、そんな願いは叶えられないぞ、と論理学のカミサマが唸り声をあげている。しかし、妙だ。
少数者は、いつ何時多数者の側の視点に無知蒙昧なまま社会に生きることはできないのだから、
常に"成らずして成る"状態にある。想像力、とでも分かり易く置き換えるのが妥当なのかしらん。
相手の立場に立って考える、云わば当たり前のこの概念を、己が心にもう一度突き刺してみよう。
思うに、これを忘れた人間は共感覚だろうと何者だろうと、ひどく貧しい方向に向かいかねない。

このブログにも度々登場してきたオランダ体験記、現地社会に生きた異国の者にとっては日常。
言語の不自由さ、これは共感覚の有無に関わらず付き纏う問題であり、何分特殊でもないはずだ。
日本人のように海外に自国のコミュニティーを持つ集団にとっては、確かに逃げ道も多数あるが、
それはこの私からすれば姑息で野暮な発想。孤独や苦痛は立ち向かってこそ、その輪郭を持つ。
海の外に自分を殺す野蛮人が溢れ返っている訳もなかろう、人間の価値は普遍的ではなくて?

幸運と呼ぶべきことだろうが、私が幼少期に暮らしたオランダは九州ほどの小さな国だった。
他者に対して敵愾心を抱く代わりに、ただあるがままに相手を受け入れること、彼らの知恵だろう。
私とて、行った当時は現地校でただ一人の日本人だったために言語は学ばねばならなかったが、
それ以外に文化として何かを強要されたことがあっただろうか?実を言えば、覚えてさえいない。
自然体のまま、自分の母国と今住む環境の両方を大切にしていいよ、暗に彼らはそう教えた。

利己心からの言動はお叱りを受けるものの、分け合うことにはいくらでも手を貸してくれたっけか。
足りない分は補え合えば、お互いに歩み寄れば、和やかなひと時を過ごせるじゃないの!とね。
この素敵なアイディアが世界のどこにあっても私は歓迎するだろうが、今あるもので楽しむこと、
その空間に在るもの総てが喜びや悲しみを共有できること、彼らはそれを"gezelligheid"と呼ぶ。
日本でいうところの"和の精神"だが、老若男女にホモ問わずこの恩恵を受けるに値する、と。

社会学用語のゲゼルシャフト(独)と語源を同じにする言葉ではあるが、その意味はまるで別もの。
何か明白な形での利益や目標がある訳でもなく、多様な存在を受け入れることを表している。
冗長的と言い切ってしまえばそこまでだが、マイノリティーの受容はさほど単純なことではない。
自他の一長一短を終始見つめて生きることの背後にあるのは、並々ならぬ想像力なのだろう。
想像力に創造性を加味して、矛盾の渦を互いに眺め合うこと。生きる知恵とはそのようなものか?

思うに、あの国の人間にマルティリンガルが多いのもこんな文化の土壌あってのことだろう。
自分が自分が・・・、と言い続けて国を守ろうとするのではあの国はとうに滅びていたのだと感じる。
体は大きく、自己主張は強いのにシャイであったり、否定したかと思えば認めてくれたりもする。
激しく移り変わる天気の如く、彼らの心は優しく柔かい。無論、目の前に本人がいればの話だが、
これが農耕民族ならではの国民性であるのは間違いなく。牛も野菜も観察しながら育てるものよ。

私の共感覚もご多分に漏れず、あるがままの姿と色をあの国に守られていた、と気付かされる。
日本に帰国し、"異物"や"異端"として迫害に遭い、鬱になるまでは自然な感覚として生きていた。
マイノリティーとしての自負、それを培うきっかけを備えてくれた人々に再び感謝の念を捧げよう!
鬱になった時期に色彩や形態に関する知覚力や感性が鈍ったのは、明白なことではあるものの、
その自負なしに、私はかの凄まじい誤診を生き延びることができただろうか?疑問を抱くところだ。

長年の言語学習を通して出来上がった私固有の共感覚が一つある。言語共感覚図とでも呼ぼう。
手前に日本語があり、心臓から30cm前進したところに"意味のブラックホール"が鎮座している。
その地点を通り過ぎてから角を右に曲がるとオランダ語、左に曲がると英語が居る。その他にも、
趣味で覚えた仏・独・伊・・・と各言語に領域が付与されているのだが、いつも位置だけは一定だ。
無論、日本語の"何"は英語の"what"に直結せず。文化に踏み込まずして、意味は聴こえない。

wherever you are, they have their own realms
  1. 2008/09/12(金) 00:12:00|
  2. 海をわたる
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