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* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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闇に消え去る者もいる

小さな頃から"頑固者"と母によく言われたものである。そして、一度決めたら遣り通す、とも。
別段私としては意地を張ったつもりもなく、ごく自然に振る舞っていたはずなのにそう言われたが、
今からすれば、共感覚者の子ども時代とはそんな思い出の宝庫であってこそ人間らしいと思う。
ただ単に融通の利かないヤツではなく、苦労しながら過ごしていたあの時代を思うと涙腺が緩む。
日本から遠く離れた異国で私が何を大事にしていたかって?そりゃ当然、色や形を愛していたわ!

もし私が姉たちのように日本人学校に通っていたのなら、これ以降の物語は虚構だったはず。
一斉授業の存在しない"摩訶不思議な"教育制度の恩恵を受けて私は自由気ままに生きていた、
と言っても過言ではないほどに、唯一無二の773式勉強法を編み出していたのだと思うのさ。
先生や教科書がすべてを教えるのではない、その環境の中でどうやって私は算数を覚えたか?
友だちから教わったり、逆に私が教えたり。言葉が日本語だったのなら、色計算を教えたろうが。

外国人という存在はどこの国にいても、何かしらの不利な面を背負っての生活が常だから、
時間が経つうちに自分の"得意技"を磨くようになるのではないかね?生きるための知恵として。
言葉ではどの道負け犬になるのだから、とこの私は"人間計算機"になろうと試みた訳である。
頭の中で色や形が光り輝き、蠢いているのは秘儀としたまま、算数だけ取って置きの教科になる。
特技の種明かしは逆に教えたくなかったので、数字に色があることだけは決して話さなかった。

無論、数字に見る色はオランダ語でも説明できるくらいの"標準色"が多かったとはいえ、
黒髪に黒い瞳の外見と、計算が出来ることくらいしかアジア人としての自負がなかった私には
掛け算九九(向こうでは十十だが・・・)の色を逐一説明する時間の余裕さえなかったと言えよう。
しかし、不思議なものである。彼らに褒められること自体は自分にとっては実はどうでもよく、
計算する時に頭のまわりに光る色の粒を感じる、その快感だけが私の目的となったのだからね。

それなら、計算をさせてもらえればそれだけでよかったかと言えば、そんな訳もあるまいな。
私の通った小学校は、数字や文字の書き方に関しては結構注文が多かったのは事実だろう。
日本に帰ってからは"外国育ちの例外条項"を多少なりとも考慮され、放免された面もあったが、
就学してからずっとそこにいたこともあろう、文字の書き方だけは丁寧さを求められたと記憶する。
目がとろんとしてしまいそうな昼下がりの書き方の時間に何百回となく、数字を練習したものだ。

どういう訳か万年筆文化の色濃く残るオランダの地では、算数の正誤と同様なレベルでの
文字の美しさを要求されたのだった。後に、中学校の硬筆でこの経験が生きたので良しとしたが、
青いインクのペンで数字や文字を間違いなく書き続けるのは、時として苦痛だった。あのインクめ!
何たることか、2478の書き方や順序が日本式のそれとは共感覚では決定的に違うのだから、
数字だけ先取り学習した私の脳ミソの細胞達が臨時の重役会議を開いたのは言うまでもなく。

連夜の会議で、2と4と7はその共感覚の形に宿る気品と性別により、"色彩的二股"を許された。
私の意識の中での許容範囲が彼女等のジェンダーによるものだったならば、笑える話だろう。
だが、オランダ式の8の書き方に添うと今でも彼が共感覚上のゲイと化すことから考え直せば
そういう"保守的な決定事項"だったのかもしれない。(オランダはご存知、同性愛に寛容な国家)
名付けてダルマッチョのような8よりも、スラリとした日本式の8の方が計算に適しているもの。

何分、この手の帰国子女の共感覚ハプニングがそれ以後も数知れず起こったのは確かなれど、
数の読み方が書き方以上に狭き門であったのは記すまでもないこと。ありゃ凄まじい闘いだわ!
"責め苦の九九"を母が唱えさせたことで、6はアンビヴァレントな存在に成り変わってしまった。
性格は温和でしっかりとしているのに、タッグを組む相手の数字や私の思考する言語が変わると
TPOに合わせているつもりなのか、ご丁寧にも彼は身に纏う色彩を変えてくれるのですものね。

6は元々は深く柔らかい緑の毛布だが、シャイなのか何なのか他の数字と並ぶ時はめかし込む。
深緋の生温い液体の如く、他者を惑わし始めるとは、いやはやなかなかの"色男"じゃないの!
しかし、六という漢数字は藍色のもやの中に姿を消していくのだから、共感覚とはやはり浪漫だな。
海外生活で変化を強いられて苦労したのもこの私だが、数の共感覚物語を楽しむのも同じ自分。
これが他者には謎に包まれた時空にのみ存在する色彩かと考えると、脳の神秘に平伏したくなる。

6の婚礼、かくして六へ向かいたり-2
  1. 2008/09/14(日) 23:47:08|
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