seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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その崩壊が生み出すものⅠ

常日頃、空間とは何か、と自らに問い尋ねる。私の場合、これが史実に関する思惟なのか、
知覚や心理に関わることなのか、はたまた創作のプロセスの一端なのか、時として曖昧になる。
共感覚と空間認知の話として物事を捉え始めると、どういう訳か見せ掛けの秩序が壊れてゆく。
何のことはない、この"主観的悩み"の根幹にあるのは"主観的知覚"なのだから仕方あるまい!
と早合点して思考諸共ゴミ箱へ投げ捨てようとする己の姿に気付いて立ち止まることもしばしば。

西洋の空間vs極東の空間、いつからかこの図式の呪文に囚われて身動きが取れなくなった、
そんな時期もそういえばあったのでしたっけ?しかしながら、これが如何に幼い発想だったかと
後の日に反省することとなる。丸い地球は断片の如き様に非ず、物事は入れ子状に絡み合う。
現代の日本の空間がなぜにして、純粋なものと成り得よう。世界は流動化しているというのに。
西洋に見た東洋、東洋に見た西洋、いずれも私の記憶の中では一際異彩を放っていたのだ。

種々の二律背反を同時に表現している空間や建築に出会うと浮遊感のような幸せを感じるのが、
はて、これは何の効果なのかい?あらゆる意味で"混ざりもの"として生きて来たゆえの自負か?
答えは依然として不透明なままでよいと感ずるが読み取り難い空間には言い尽せぬ愛を覚える。
と同時に、精神の根底から何かを奪い取られるような強い感動がそこにある。空間は生き物だ!
なんて、当たり前のことを私が呟こうともあまり意味はない。空間を生かすのは産業だから。

あまりの無力さに気付いてここで話を止めて良いとも感じなくはないが、さりとて共感覚は別物。
性陣で埋め尽くされたかのような緑一色の業界にあって、これを論じ始める私はかくも弱い。
"建築工学"との名の下に存在する書物を読み始めると、共感覚そのものが滅びたかのように
錯覚してしまいがちである。ま、何のことはない、当事者が共感覚者でなかったとそれだけの話。
共感覚者の男女比率がこれに関係するのかはさておき、建築自体がそのような枠組を持つ、と。

一般解を定めないことには雨風を凌ぐ為のシステムも考案できないから、特殊解は放置される。
言うなればこれは自然の条理なのかもしれないが、実際問題、空間は特殊性により息吹を上げ、
我々人間の生活に在るのだとも言えようか。そして、ここで先験事象としての一般解に目が行く。
誰が其れに重きを置き始めたのか?と。かくして、延々と続く堂々巡りのレースが始まりを告げ、
虚構としてそこに建っていた構築物は瞬く間に無秩序の奴隷と化してゆく。形はそのままにして。

空間が男性であり、物質としての大地が女性であるとする考えもあるが、はて、現実や如何に。
あまりにも単純な話であり、共感覚的に捉えるならば馬鹿馬鹿しいとすら感じられる争論なれど、
金科玉条の如くこれが通ずるのはなぜか?少なくとも、人に造られた土地にのみ焦点を当てると
物事の答えは一つだけでよいように感じられてしまうものだ。創られし空間の流れは否を唱える。
現実として網膜や皮膚ではない脳内が感知する共感覚的空間、これに一度身を委ねてみようか。
(続く)

mix, fix and transfix

  1. 2008/09/18(木) 21:48:12|
  2. 数 と くうかん
  3. | コメント:0
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