seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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その崩壊が生み出すものⅢ

時間の存在、これなしに建築が造られ、語られることなど、人類史上どれほどあっただろうか?
まずもってないだろう。物質を伴う空間構築の範疇での営為ならば、計画のない建築はない。
言葉だけで成り立つ建築も在るには在るものの、共感覚として建築に接近することが出来るのは
実際に計画されて建ち、そこにオブジェクトとして知覚可能になった構築空間に限られようとも。
無論、実存空間と知覚空間の関係性に触れずして扉は開かず、主題と変奏は別ち難い仲にある。

都市にせよ、農村にせよ、現実の社会では曲がりなりにも計画という名のレールが敷かれるが、
この"計画"なるものが"主題"として機能し、その下に"変奏"としての物質と空間が築かれて行く。
現実、音楽と建築の決定的な違いはそこにあるのだろうが、建築はマスタープランナー一人が
独断的に総てをデザインすることなど在り得ない世界。社会情勢から来る政治・経済、立地条件、
天災に及ぶ要素が複雑に絡み合って初めて成立するテーマ、何人も予想し尽くすことはない。

合理的に全事象を計画しようと試みた人物が歴史上にいなくもないが、演奏された形跡はなく、
その序曲は夢想と化して出版物に生息するに過ぎず。一人間の感覚がなぜに絶対足り得るか?
我が身に感じる共感覚の多様さを振り返るに、主題のみ演奏されたら建築は甚だ不快だったろう。
建築史も実際の都市空間さえをも、朗々と流れる変奏曲に感じたのは己が共感覚ゆえなれど、
ありとあらゆる変化を迫られて洗練された建築の方が、打たれ強いからか、活き活きと感じられる。

がしかし、音楽とひとえに表現するにしても、共感覚は常識からは程遠くに追い遣られるはずだ。
というのも、私が共感覚として感動を覚えるのは一般的に"良い"と評価される作品ではないから。
作品の周縁に生きる空間、云わばスキマで奏でられる見切り品、絶品ではないスッピンの逸品。
時代の圧力に挟まれた空間が多いゆえか、その緊張感が遣る瀬無いほどの存在に思えて来る。
一見して破たんした小空間の中に、時間の縮図が折り重なるようにしていくつも隠されている。

対位的変奏に囲まれた性格変奏の如きその様も、何だかユーモラスで哀愁を帯びているから、
見過ごされてしまう彼等に出会えるのは、この私にとっては儚い幸せの一つなのだとも感じる。
さりとて、時々刻々と変化する空間の中で同じ演奏に遭遇することは望まない方が良いのだろう、
図面の中で聴こえる音が現実の建築空間にはない。何か足されたその存在を前に毎度考え込む。
ま、何せ共感覚だもの、経験則としての主題さえ私が覚えておけばそれですべて事足りるでしょ?

空間という環境が何を受け入れて、何を捨て去るか。これがミクロな現場に依拠しているのか、
それともマクロでの操作なのか、これだけは答えが出せない。エンドレスな変奏に耳を傾けつつ、
一つの塊として捉えられた地球の変化にも目を向けてみようか。眼前にあるこの小さな音楽も、
その活動の中ですべてが造られ、単調なモードの崩壊と生成の繰り返しの中でも変化は起こる。
モノを解体し構造を知る、この行為の中で垣間見える矛盾の豊かさを共感覚は教えてくれるのか。

leave them as they have been...
  1. 2008/09/23(火) 22:02:22|
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