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* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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空間により救われたのか

共感覚となると文字や数字の色の話が一番分かり易いな、と時折早合点してしまう。
グレースケールで印刷しても文字に色が見える、というのは実際は分かり易くはない、
いや、それどころかこのタイプを説明するだけでも誤解を避けて通れないものである。
だがしかし、ちょっと待った。文字に色と一言で表現できるほどには単純ではないので、
文字に質感があるか、一文字ごとに見ているのは色か模様か、と前途多難なのである。

私にとって色彩ってものはどこかおぼろげな記憶の中から掘り起こす思い出でもない。
厳然とそこに感じる何か、或いは現在から過去へと連綿とつながる光とも表現できよう。
海越えても色彩は色彩であったし、それが共感覚だろうと外界からの視覚情報だろうと
同様の器官で感じ取っているのだ、と何の根拠もなしに信じ切っているところさえがある。
何さ、この人の脳内は整理もついていない色のカオスじゃないの、との声もあろうかな。

そんな問い掛けに然るべき返答のできぬまま立ち尽くしたこともあるにはあるのだが、
文字に感じるのが純然たる色の羅列ではないので、単なるカオスではないと言い残そう。
その曲線ゆえか、平仮名の色彩は淡くなだらかな光の筋の交わり方が際立っている。
片仮名のそれは細い糸を束ね合わせるようにして認識するし、平仮名よりも軽めである。
逆に画数の多さに伴って漢字は重々しく、暗闇に分け入るようにその色の中身を知る。

色彩だけだと日本語は読み書きが困難な文字体系だと感じるのは単なる偶然なのか?
私の場合、質感の共感覚は色彩等に比べれば容易く消え失せてしまう代物のようだが、
これらは不可分の関係にあり、どちらかがなくても話の"辻褄が合わなくなる"のである。
質感を感じなければ漢字の輝きなど解読できたものではなく、意味も同様の結末に至る。
思うに、私は文字の色彩の違いを立体的な相違によって認知しているのではないのか。

どうにも主観的な話だ。が、何とも興味深いのはこれが空想や連想ではないことだろう。
結果としての知覚は色や形としてごく平面的に言語化・視覚化されるが、実際は空間的。
どことなく階層的な文字の色彩の中を旅しながら日常的な物事を理解しているということ、
当事者でありながら神秘的だと感じる。一個人の中の知覚現象かと思うと、尚更そうだ。
そして、その色彩をこうして言語で表す自分がいるのは歯痒い一方で楽しいことでもある。

keurig en nieuw

  1. 2009/02/05(木) 23:21:08|
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