seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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食べず嫌いは損をする

やや現実的な問題ではあるが、共感覚について日本語で書かれた文献は少ない。
研究者が少ないこと、社会的認知が非常に遅れていることがその理由なのであろう。
がしかし、言語が変わったからといってただ何もせずに手を拱いているだけというのも
ひどく弱腰であり愚かな構えだと感じる。知識欲に勝る武器はない。違うのだろうか?
辞書を引き想像力を駆使すれば自己理解が進むのだから、苦労する意味もあろうかな。

帰国子女だから外国語に飛び込める、キコクは英語がわかる、との短絡的な声もあり、
盲目なその態度に私は毎度首を傾げてしまう。日本海の向こうはアメリカではないし、
無数の言語が大洋越えた地で今日も彩られているのを人々は知らぬのかとさえ思う。
あくまでも私が住んでいたのはオランダである上に、英語は私には第三言語である。
たとえ同じ文字を使うからといって総ての色彩を混ぜてはならぬ。失礼ではないかね?

英国人の共感覚研究と米国人のそれとがその目的・方法において多いに異なるように、
研究も、その成果としての文献も多種多様なものであり、一つとして"同じ"ものはない。
そういった微かな線分の傾きを読み取ることが楽しいからだろうか、共感覚を通して見る
地球上の欠片を拾い集めては喜びを覚えている。研究者でもないのに、物好きな奴だ。
いや、研究で成果を残す必要がないからこそ、余計な感情を一切振り払えるのだろう。

共感覚は主観的な知覚であり、当事者が客観性を持って物事を洞察するのは難しく、
ともすれば判断力を欠いた見識を持ってしまいかねないが、これは誤解をも生むだろう。
そんな時に外国語によって物事を具に類推することは多いに益のあるプロセスとなるし、
凝り固まることのない柔軟な思考力を培う助けともあろうか。そう、"気分転換"も必要だ。
と同時に、共感覚世界一周はこの知覚現象の普遍性について考えさせてくれると思う。

言うまでもなく共感覚は個性そのものであり、本来普遍性とは対極を成す知覚である。
しかしながら、共感覚者の男女比が1:1.1とする近年の研究結果が示すところは大きい。
遺伝子座としての共感覚の在り処には家族の系譜も見られるものの、個々人の感覚は
ランダムな事象という外ないし、自らの共感覚をカミングアウトするか否かを別とすれば、
どこの誰に共感覚があろうともおかしくはないだろう。感覚知覚は単純な要素なのだから。

冒頭で"苦情"を述べておきながらこうも悠長な見方ができるのは幸せな話ではないか。
共感覚を深く学ぶ上で自分の理解力に垣根を造ってしまうのは非常に残念なことで、
食べず嫌いせずに常に認識を新たにすることも意義あることだと私は感じるのである。
分別を働かせることなく自分のこだわりによって共感覚の総てが分かったものか、と。
科学者でなくとも、要素は解きほぐしたい。共感覚を持つ意味はここにあると確信する。

Third or fifth
  1. 2009/02/10(火) 20:20:18|
  2. 共感覚/synaesthesia
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