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* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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カコの知覚ではない

当事者として、共感覚の喪失について考えること。いささかグロい話かも分からない。
ここで言及するのは自然消滅ではなく、人工的な共感覚の喪失であると付け加えるが、
経験でもしなければ、こんなことをそもそも考えようとする人はいないのかもしれない。
望んだ訳でもなく共感覚を奪われるのは言うまでもなく苦痛であり、死をも意識させる。
少なくとも、私の体験からすればそのような様相を帯びた話だと言わざるを得ない。

"コアな"共感覚者に限らず、あの感覚はカコの話、と割り切れないことがあるものだ。
つい先週まで自分の生活空間の中に感じられていた色彩が二度と戻らない予感がする、
言うなれば、落葉した木々に二度と春が訪れないかのような不自然さがそこに付き纏う。
季節の移り変わり同様、時間が廻ることで必ず再会できるはずの共感覚は特殊であり、
"一期一会"の知覚の対象とは一線を隠すもの等が存在することも忘れてはならない。

おかしな表現だが、短期間に"意図せずして"共感覚を失うことはそう簡単ではなく、
著しい外傷や薬理的変化でも経ない限りは共感覚が消え去ってしまうことはない。
幼少時代の共感覚が成長のプロセスで徐々に感じられなくなることの悲喜こもごも、
これも在るには在るのだが、成人後に共感覚者が急な変化を経験するのは稀であり、
通常なら、切っても切れない腐れ縁とのお付き合いに日々苦労する方がよほど多い。

かく言う私は誤診によって大幅に共感覚を失っていた期間があるし、序に言えば、
つい最近も頭痛治療のために感覚の一部が消失し掛けたゆえ、あれこれ思い返す。
ある意味リスク覚悟で臨んだ後者の経験はまだしも、前者は今も魔物と感じており、
事あるごとに顔を出すフラッシュバックのために打ちのめされることは未だにある。
得体の知れない離人感に苛まれた当時の記憶から逃れられなくなることもあるのだ。

なぜあんな目に遭ったのか、なぜあれほどまでの苦しみがこの世に存在するのか。
そう自問するのも然ることながら、なぜ共感覚はこれほどまで現実的な知覚なのか、
と突き詰めて考え込んでいるのも何だか妙な話。イマを生きる意味の探究なのだろう。
研究現場の現状を踏まえれば、身体論のみで共感覚を語るには時期尚早だろうが、
共感覚の根幹は回想記憶とは言い得ない生々しい知覚にあるのではないかと思う。

外界からの知覚刺激と必ずセットで感じられること、これには思いの外意味があり、
「あれは美しかった」との懐古の情だけでは遣り過ごせないのがこの現象ではないか。
他者には決して分からない主観的事象であるとはいえ、この個人的な知覚に具わる、
イマの重みは何事にも代え難い。時間のシークエンスとも一体化している感覚だが、
共感覚は過去を生きるためではなく、現在の認知においてその意味を成すのだろう。

Lang en zwaar
  1. 2009/03/28(土) 00:15:48|
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