seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

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何を聴き、何を見るのか

私の共感覚はヴァラエティーがゆたかなそうな。本人はそうと考えることもなかったが。
一時期、危機的なことがあって奪われたのではないかと危惧したこともあったのだけれども、
結局のところ、生まれてから今の今まで共感覚が根本から変化したと確信できる事実はない。
数がたくさんあるから悲しいことも嬉しいこともなく、ただ淡々とその感覚で生きるしかないものね。
けれども、時として混乱することもある。何せ、手が十本生えたような気分にもなるのだから。

五感覚のいずれも視覚の共感覚になる。視・聴・触覚はお互いに手を取り合っているし、
時間・曜日・月・年などの時間も特定の形や色の共感覚がある。いつの間にかそうなっていた。
どれがどれの色や形か間違わずに済むか、といえばはっきりと結論は出ないだろう。
共感覚の勘違いは多分にして起こり得ることであり、このためにそれなりに苦労するといえる。
しかしそうといって失くせば失くしたで相当バランスを崩すものだともわかっている。経験値として。

いつも何かしら共感覚を知覚すること、嫌なこともあれば心地よいこともある。
静かな昼下がりに、お茶を楽しみながら大好きな音楽にでも耳を傾けていたとしよう。
目で見るもの、舌で味わうもの、耳で聴くもの、そのすべてが何ともいえないほどに美しく、
素敵な共感覚もそこにある時、いったいどれだけの言葉を並べればその感動を伝えられるのか?
そんな時、私はすっかり黙り込んでしまってまわりの世界の動き出すのをただ待つだけになる。

遥か遠い国の詩を声に出して読んでみたら、ただのアルファベットが光って見えた。
音の響きが色の光になるなんて、そんな神秘的なことが共感覚でなくても本当に起こったらね。
きっと、学校の本読みの宿題ももっと楽しかったのだろうな、と子供時分に戻ってみたりする。
それにしても、こんなことを考えられるのは週末だけなのでした。忙しい仕事の間は忘れたふり。
崩れかけた記憶の中で色のことばかりたぐり寄せては、何とも切ない気持ちになるのです。

24歳最後の週末、もうすぐ私は別の色に足を踏み込むのだったな。25年目にして初めて思う。
たった一年の重みをここまで感じるとは。様々な色や人を想い、感慨深い気持ちを覚えます。
まだまだ果てを知らないつもりで生きていこうか。それともどこへ向かい、どの光を目指そうか。
世界のあまりの曖昧さに心揺さぶられる日々。共感覚のある人生を大事にするとここに誓いたい。


雨とバッハ
  1. 2008/04/20(日) 01:16:02|
  2. おとをみる いろをきく
  3. | トラックバック:0
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つかめない形

音楽を聴いて色を感じる共感覚、このことを「色聴」と呼ぶ。
これは一般に日本語で言う音色とは少し意味が違うのだそうな。
音色は比喩で、色聴は知覚現象と分類があるのだと人は言う。
まるで他人事のように私が書きたくなるのは、はてなぜだろう?

「楽器の音色」といえば、楽器の奏でた音に感じる色のこと、
「メロディーライン」となれば音楽が描く輪郭線のことだ、と
物心ついたときから私が信じて疑わなかったからかもしれない。
世の中に当たり前のようにしてある比喩の意味を今は知るが、
それが非共感覚者にとって本当は知覚ではなかっただなんて!

驚きととまどいを、今も禁じ得ない自分がここいる。そんなはずは。。
というのも、当たり前のようにして画家たちは音を色や形にしているから。
ワシリー・カンディンスキーの"Composition"と名付けられた一連の作品を
私以外の世界はどのように感じ、解釈してきたのだろうか?とふと考えてしまう。
誰でもごく自然に音を形で表したくなるものではないの?歌いながら踊ったり。
無論、かの人が共感覚を知っていた芸術家だとわかったのはずっと後のことだが。

音楽をいつ絵画表現にし始めたのか、自分の中ではあまり定かに覚えていない。
好きな曲はさまざまな色や形の織りなす、風景画のように記憶しているものだから
他人に見える画として具現化しなくとも、私にとってはいつも変らぬ共感覚。
がしかし、まわりの人間には共感覚がないのだとわかるとどうしても描きたくなる。
本当のところ、この形の音楽を見たらみんなはどう思うの?美しさを感じるのか?

もちろん、視覚表現として共感覚を2次元平面に落とし込むためには
ある程度のデフォルメが伴うのであり、これが何とも言えぬほどにもどかしい。
つかめないものをなぞっても本当の形にはならないというのに、それを描く。
脳内で私しか知覚していないというのに、本当に描いてよいものかしら?

言うなれば、描くことで「個」や「弧」を自分の肌で感じている命がけの勝負ね。
青空の下、一人草原を駆け抜けていたらいつの間にか涙を流していたかのような、
そんな懐かしいような、悲しいような気分を描き終えてから味わうのも毎度のこと。
つまりは、絵が完成すれば音楽もフィナーレを迎えてしまうとも考えられる。
だから音楽スケッチは一生やめられない。すべての終わりを誰が見たいと?

さて、美しい形に出逢うために、また音の海をひと泳ぎしてきますか。

steppin'upwithu
  1. 2008/04/13(日) 00:11:28|
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