seek for sounds, step into forms...

* * * * * 色とともに生きる共感覚者から * * * * *

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

なぜ視覚で考えるのか

少し前に、とある人物から「忘れることも人間の能力ではないか」との言葉を聞いた。
何と思慮深い言葉なのだろう、私は暫し感嘆して頭の中が飽和状態に陥ってしまい、
寝かせたり、遠ざかったり、触れたりしながら、その意味を深く深く考え込んでいた。
共感覚者は記憶力が優れているもの、という漠然とした思い込みが強かったからか、
一つの尺度でしかものを捉えていなかった自分の姿勢を見直したのは言うまでもない。

不自然な形で記憶を失った経験、というのは誰しも受け入れられないものであって、
生じてしまった空白をどのようにして運用しようかと立ち止まってしまうのではないか。
一旦立ち止まるのは、新たな記憶の量を増やすことで全体のバランスを保とうとして
もがいている状態なのかもしれない、と私は自分の経験から考えているのであるが、
現実として、内的世界の成分が急激な変化を遂げているというのは事実かと思う。

私の場合、記憶が消えた時に人間としての種々のこだわりが姿を消したこともあり、
自分が軽薄な人間に思えて仕方なかった。そう、深みのない感覚を覚えたのである。
ある人々にとってはそれが"ヒトとしての成長"という、どこか虚しい成果になること、
記憶喪失に遭った張本人である私からするならば物凄い侮辱と感じたものである。
自分の肉親を喪った者に同じ言葉を掛けたらどんな意味を持つか、と同様の話だろう。

他者の記憶形態がどんな状況下にあるのか私は事細かに知る由もないのだが、
自分のそれを振り返ると、共感覚の傾向との相関性を考えざるを得ないと感じる。
兎にも角にも視覚記憶に総てがまとまっているため、強いて言うならば分かり易い。
聴覚記憶も色彩としての視覚情報に変換されている、そんな印象が相応しいし、
味も香りも何もかも、傍から見ればおかしな絵の中に全員集合していると言える。

共感覚等の誤診が発覚してショックを受ける前にも実は一度記憶が無くなっている。
その時も同様であるが、言語の記憶が平坦になってしまって使い物にならなかった。
音としての言語を思い出さない、或いは思い出せない、不便は無いかと聞かれると
共感覚の在る自分には相応しい答えが見つからない。そうなっているものと感じるし、
思い出されようと、そうでなかろうと、私にとってはそれが自然な状態なのである。

視覚、特に空間的要素を含んだ視覚情報の記憶力が人よりも強いとは思うのだが、
全体的なバランスで言えば言語そのものとしての記憶はひどく乏しいということになる。
しかし、生物的には申し分ない。言語記憶が無くても、動物は逞しく生きているのだし。
ある時期の私の画像の記憶、実は未だに白黒の画像しか思い出せなかったりするが、
それとてハチ公の記憶同様に尊いもの。"ヒトが素晴らしい"なんて発想は馬鹿げている。

フラッシュバックが起こることはあるにしても、私の場合は音声の記憶があまりない。
これはある意味では救いであり、必要以上に恐怖を感じずに済んでいるとさえ感じる。
少なくとも、言語中心の対話ばかり望むような相手とでなければ私は安心して過ごせる。
では、私は言語を総て忘れているのだろうか。共感覚の情報さえあれば思い出せる、
そんなことを加味すれば私は忘れていない。でなかったら、今も話してはいないだろう。

色彩→意味の回路が強いために表向きには苦労していないように見えてしまうし、
元来、気丈に振舞おうと必死に努力する性質である、記憶の惨状は見せまいとする。
いつしか、壊れたものを壊れていると考えなくなってから多少は救われたかとも思う。
ヒトの社会に在る"標準"からすれば私の過去の記憶には丸印も付かないだろうが、
一方的に進む時間の概念を捨象するならば、必然だけがそこに在ると思えて来る。

今考えると、私の頭は色彩を記憶する一方で"言葉そのもの"は忘れることに長けている。
その根本には世間でいうところの障害の存在があるだろう。しかし、実際どうだろうか。
生きるという観点から見れば自分の脳はそれなりの生命力があるのだとすら感じるし、
言語に執着するだけの場合よりもよほど共感覚の恩恵に与っている気がしなくもない。
思うに、色彩言語以外を私が捨て去った理由もここに在る。命の恩人を忘れられようか。

We zijn niet rond
  1. 2009/06/15(月) 00:30:36|
  2. 数 と くうかん
  3. | コメント:0

logical dumping Ⅳ

生まれつきだが、私にとって空間的に物事を捉えることが自然で、それがフツーだと感じる。
このことは共感覚よりは幾分か言語や視覚媒体で表現し易いことなので助かることもあるが、
そうは言っても生き難さを覚える能力の一つであるのは間違いなく、時として考え込むものだ。
なぜ私の脳は摩訶不思議な知覚スタイルを持ち、個性たっぷりの思考法を選んだのだろう?
一生涯この疑問が私の頭の中から消え去ることもなかろうから、悩み続けるのも悪くはない。

いくつかの必然が偶然によって結び合わされて、今のこの私を生み出したのであるならば、
それを奇跡と呼ばずに何と形容すべきなのだろう?苦痛は多い人生ではあってもそう感じる。
複雑過ぎるはずなのに、隠されたsimplicityに喩えようもない感動を覚えてしまう自分がいて、
気付いたら銀河系の真ん中でポカーンと口を開けて流星を眺めている気分にもなるのである。
身包み剥がれてしまったかのような恐怖と孤独も、当然の如くそこに共生しているのだが。

今の歳にもなって自らの強烈な個性に心打たれるとは、努々思いつきもしなかったのだが、
はて、それならばこれまで何に目を向けていたのか?それとも、何も見ていなかったのか?
出る杭打たれるこの島国で私が努力して来たことと言えば、他者との違いの溝を埋めること。
それだけのために神経擦り減らしていた訳でもないが、大半の苦労はそこにあったのだと
幾分溜息混じりに気付く自分がここにいる。今だから言おう、御苦労な事であった!とでも。

NOと言えない弱さも多分にあるが、その性向が私の中に育てた強さも必ずやあるのだろう。
常日頃空間的に物事を考えられたことで、共感覚の印象にも幅が生じて来るのだと思うし、
これが私自身の表現力に何がしかのメリット・デメリットを加味してくれるのかもしれない。
脳の仕組みの遥か遠くに生きて来る想像力に何が出来るのか、今からでも試してみたい。
そう、私は鏡の向こうで多変数方程式を解いて終わるのではなく、今ここに生きている!

Niemand weet de einde
  1. 2008/12/12(金) 22:12:12|
  2. 数 と くうかん
  3. | コメント:0

その崩壊が生み出すものⅠ

常日頃、空間とは何か、と自らに問い尋ねる。私の場合、これが史実に関する思惟なのか、
知覚や心理に関わることなのか、はたまた創作のプロセスの一端なのか、時として曖昧になる。
共感覚と空間認知の話として物事を捉え始めると、どういう訳か見せ掛けの秩序が壊れてゆく。
何のことはない、この"主観的悩み"の根幹にあるのは"主観的知覚"なのだから仕方あるまい!
と早合点して思考諸共ゴミ箱へ投げ捨てようとする己の姿に気付いて立ち止まることもしばしば。

西洋の空間vs極東の空間、いつからかこの図式の呪文に囚われて身動きが取れなくなった、
そんな時期もそういえばあったのでしたっけ?しかしながら、これが如何に幼い発想だったかと
後の日に反省することとなる。丸い地球は断片の如き様に非ず、物事は入れ子状に絡み合う。
現代の日本の空間がなぜにして、純粋なものと成り得よう。世界は流動化しているというのに。
西洋に見た東洋、東洋に見た西洋、いずれも私の記憶の中では一際異彩を放っていたのだ。

種々の二律背反を同時に表現している空間や建築に出会うと浮遊感のような幸せを感じるのが、
はて、これは何の効果なのかい?あらゆる意味で"混ざりもの"として生きて来たゆえの自負か?
答えは依然として不透明なままでよいと感ずるが読み取り難い空間には言い尽せぬ愛を覚える。
と同時に、精神の根底から何かを奪い取られるような強い感動がそこにある。空間は生き物だ!
なんて、当たり前のことを私が呟こうともあまり意味はない。空間を生かすのは産業だから。

あまりの無力さに気付いてここで話を止めて良いとも感じなくはないが、さりとて共感覚は別物。
性陣で埋め尽くされたかのような緑一色の業界にあって、これを論じ始める私はかくも弱い。
"建築工学"との名の下に存在する書物を読み始めると、共感覚そのものが滅びたかのように
錯覚してしまいがちである。ま、何のことはない、当事者が共感覚者でなかったとそれだけの話。
共感覚者の男女比率がこれに関係するのかはさておき、建築自体がそのような枠組を持つ、と。

一般解を定めないことには雨風を凌ぐ為のシステムも考案できないから、特殊解は放置される。
言うなればこれは自然の条理なのかもしれないが、実際問題、空間は特殊性により息吹を上げ、
我々人間の生活に在るのだとも言えようか。そして、ここで先験事象としての一般解に目が行く。
誰が其れに重きを置き始めたのか?と。かくして、延々と続く堂々巡りのレースが始まりを告げ、
虚構としてそこに建っていた構築物は瞬く間に無秩序の奴隷と化してゆく。形はそのままにして。

空間が男性であり、物質としての大地が女性であるとする考えもあるが、はて、現実や如何に。
あまりにも単純な話であり、共感覚的に捉えるならば馬鹿馬鹿しいとすら感じられる争論なれど、
金科玉条の如くこれが通ずるのはなぜか?少なくとも、人に造られた土地にのみ焦点を当てると
物事の答えは一つだけでよいように感じられてしまうものだ。創られし空間の流れは否を唱える。
現実として網膜や皮膚ではない脳内が感知する共感覚的空間、これに一度身を委ねてみようか。
(続く)

mix, fix and transfix

  1. 2008/09/18(木) 21:48:12|
  2. 数 と くうかん
  3. | コメント:0

音の行間に潜り込む

どういう訳か、音楽を専攻していた訳でもないのに私は音楽CDをたんまりと持っている。
中学の頃から、音楽史と美術史、建築史、政治思想史を丹念に追い掛けていたこともあるが、
いつの間にやら音と形の関係性を感じずして、考えずして音楽を聴くこともなくなったと実感する。
と同時に、建築の中に共感覚としての音や色を知覚せずに過ごすことも、考えられぬほど。
自らの設計行為では音楽を聴きながらの作業はできないものの、音楽は人生に欠かせない。

街並みを見ながら音楽を聴く、部外者から見れば奇妙奇天烈な話だろうが、はて現実は如何に。
音楽と言えど、風景に知覚する共感覚は"何拍子の何々調の曲"なんて分かり易いものではない。
どこか解体された、現代音楽に近い様相を帯びた自然体の旋律の集合体。そんなものだろうよ。
一般に"下町情緒漂う・・・"、"城下町の面影を残した・・・"と表される風景の形容詞のようなもの、
私はそれらを物理的視覚情報から理路整然と読み取っていることに他ならぬのだと言えようか。

建築基準法や都市計画法と言った、政策上の立法が音となる。考えるだけでもおかしなことだ。
それら法制の矛盾や不調和が一定/不定のリズムやメロディーで感じられる。政治家は知らずとも
私の中では自ずとその思惑が音源である建築によって分かるのだから、皮肉にさえ思えてくる。
世界一不純なアートが至極単純な音の羅列となるその様は、どこか潔くて愉快な現象なのだが、
かくたる人間社会の営為を言語や経済行為とは一線を画した観点から切ると、本質が抽出される。

こう言った"決まり事"となれば話はそれだけで済むだろうが、実際には建築家なる存在もいる。
あの作家はこれこれの作風で何々の材にこだわりを持ってデザインをする、とまぁ、建築雑誌では
批評が為されていく訳であるが、私の中ではこれとは別軸での共感覚的建築批評が存在する。
学校時代には決して口外しなかったものの、所謂、巨匠の作品の醸し出すテイストが気に入らぬ、
そんなことが始終ある。無論、業務上では眉間に皺が寄ろうとも、だんまりを決め込んではいるが。

20世紀の二大巨匠と称されるLe CorbusierとMies van der Roheの作品、いずれも好かぬ。
彼らの作品で"心地良い旋律"まで到達した作品は片手の指で事足りるな。嗚呼、嘆かわしい!
空間の生まれ持った流れや質感―Genius Lociとでも呼ぼう―を片っ端から無視したかのような
切り裂きジャック的な彼等の蛮行が許せず、Miesの著作に至っては読みながら激怒したことも。
空間のコンテクスト自体を人工的に造りもした西洋社会だからこそ、彼等の音楽は成立し得た。

Antonio GaudiのSagrada Familia、Casa Batlló、Parc Güell、いずれも有機的な造形だが、
私の共感覚音楽ではいかにも頽廃的で、なぜこれが名作なのかと立ち止まって考えたものだ。
無論、これらは共感覚の認知以前の話であるから、こういった悩みもあって然るべきものと思う。
に対して、Frank Lloyd Wrightの作品は最初からしっくりと脳内世界に収まってしまった部類で、
帝国ホテルのシャンシャン鳴り響くデザインはいざ知らず、彼の奏でた音楽は心地良いと感じる。

どう考えても主観的過ぎる知覚現象ではあるものの、こういった建築の楽しみ方がなかったなら、
敢えて建築設計に首を突っ込むこともなかったはず。何しろ、幼い頃の私は空間に敏感過ぎた。
余所の家の佇まい一つで怯えて足が竦んでいたほどの人間がどうして建築を志そうと思うのか?
高所恐怖に閉所恐怖、単なるアゴラフォビアの結晶体と化していた共感覚者の変化は急だった。
知りたい!聴きたい!触りたい!そんな"ゆかし"の小船に乗せられてここにたどり着いたらしい。

現実として、私が目指すのは視覚的デザインそのものが宿る現場ではないのだと推測している。
ものづくりの根幹に潜む知覚現象と人間の意識の関係性には興味が尽きない。実践の現実、
その背後にある文化的精神、それを司るのが尽きる所、共感覚のような現象認知に結び付く。
空間のコンテクストの解読や流動する世界情勢を読み解く行為は、音楽の解析に類似している。
これらの位相差を事細かに読み取り、何らかの関係性に出会えた瞬間の喜びは絶大なもの。

はてどういう訳か、この空間的音楽の解読行為、論理の初めと終わりが瞬時に掴めることがある。
殊に、既存の建築媒体に関する話であれば尚のこと。史実と現実の構築物がすべてを鳴らす。
音楽としてのクライマックスがどこに来て、誰が演者となるのか、それを読み解くのは清々しいわ。
これから起こることであろうとも、既に里程標を過ぎた建築であろうとも、このプロセスは同じだ。
視覚的な表現だからこそ、共感覚としてそれが判別できるのか。その答えは一先ず保留にしよう。

fiddle riddle dum-ti-dum
  1. 2008/09/16(火) 00:03:06|
  2. 数 と くうかん
  3. | コメント:0

闇に消え去る者もいる

小さな頃から"頑固者"と母によく言われたものである。そして、一度決めたら遣り通す、とも。
別段私としては意地を張ったつもりもなく、ごく自然に振る舞っていたはずなのにそう言われたが、
今からすれば、共感覚者の子ども時代とはそんな思い出の宝庫であってこそ人間らしいと思う。
ただ単に融通の利かないヤツではなく、苦労しながら過ごしていたあの時代を思うと涙腺が緩む。
日本から遠く離れた異国で私が何を大事にしていたかって?そりゃ当然、色や形を愛していたわ!

もし私が姉たちのように日本人学校に通っていたのなら、これ以降の物語は虚構だったはず。
一斉授業の存在しない"摩訶不思議な"教育制度の恩恵を受けて私は自由気ままに生きていた、
と言っても過言ではないほどに、唯一無二の773式勉強法を編み出していたのだと思うのさ。
先生や教科書がすべてを教えるのではない、その環境の中でどうやって私は算数を覚えたか?
友だちから教わったり、逆に私が教えたり。言葉が日本語だったのなら、色計算を教えたろうが。

外国人という存在はどこの国にいても、何かしらの不利な面を背負っての生活が常だから、
時間が経つうちに自分の"得意技"を磨くようになるのではないかね?生きるための知恵として。
言葉ではどの道負け犬になるのだから、とこの私は"人間計算機"になろうと試みた訳である。
頭の中で色や形が光り輝き、蠢いているのは秘儀としたまま、算数だけ取って置きの教科になる。
特技の種明かしは逆に教えたくなかったので、数字に色があることだけは決して話さなかった。

無論、数字に見る色はオランダ語でも説明できるくらいの"標準色"が多かったとはいえ、
黒髪に黒い瞳の外見と、計算が出来ることくらいしかアジア人としての自負がなかった私には
掛け算九九(向こうでは十十だが・・・)の色を逐一説明する時間の余裕さえなかったと言えよう。
しかし、不思議なものである。彼らに褒められること自体は自分にとっては実はどうでもよく、
計算する時に頭のまわりに光る色の粒を感じる、その快感だけが私の目的となったのだからね。

それなら、計算をさせてもらえればそれだけでよかったかと言えば、そんな訳もあるまいな。
私の通った小学校は、数字や文字の書き方に関しては結構注文が多かったのは事実だろう。
日本に帰ってからは"外国育ちの例外条項"を多少なりとも考慮され、放免された面もあったが、
就学してからずっとそこにいたこともあろう、文字の書き方だけは丁寧さを求められたと記憶する。
目がとろんとしてしまいそうな昼下がりの書き方の時間に何百回となく、数字を練習したものだ。

どういう訳か万年筆文化の色濃く残るオランダの地では、算数の正誤と同様なレベルでの
文字の美しさを要求されたのだった。後に、中学校の硬筆でこの経験が生きたので良しとしたが、
青いインクのペンで数字や文字を間違いなく書き続けるのは、時として苦痛だった。あのインクめ!
何たることか、2478の書き方や順序が日本式のそれとは共感覚では決定的に違うのだから、
数字だけ先取り学習した私の脳ミソの細胞達が臨時の重役会議を開いたのは言うまでもなく。

連夜の会議で、2と4と7はその共感覚の形に宿る気品と性別により、"色彩的二股"を許された。
私の意識の中での許容範囲が彼女等のジェンダーによるものだったならば、笑える話だろう。
だが、オランダ式の8の書き方に添うと今でも彼が共感覚上のゲイと化すことから考え直せば
そういう"保守的な決定事項"だったのかもしれない。(オランダはご存知、同性愛に寛容な国家)
名付けてダルマッチョのような8よりも、スラリとした日本式の8の方が計算に適しているもの。

何分、この手の帰国子女の共感覚ハプニングがそれ以後も数知れず起こったのは確かなれど、
数の読み方が書き方以上に狭き門であったのは記すまでもないこと。ありゃ凄まじい闘いだわ!
"責め苦の九九"を母が唱えさせたことで、6はアンビヴァレントな存在に成り変わってしまった。
性格は温和でしっかりとしているのに、タッグを組む相手の数字や私の思考する言語が変わると
TPOに合わせているつもりなのか、ご丁寧にも彼は身に纏う色彩を変えてくれるのですものね。

6は元々は深く柔らかい緑の毛布だが、シャイなのか何なのか他の数字と並ぶ時はめかし込む。
深緋の生温い液体の如く、他者を惑わし始めるとは、いやはやなかなかの"色男"じゃないの!
しかし、六という漢数字は藍色のもやの中に姿を消していくのだから、共感覚とはやはり浪漫だな。
海外生活で変化を強いられて苦労したのもこの私だが、数の共感覚物語を楽しむのも同じ自分。
これが他者には謎に包まれた時空にのみ存在する色彩かと考えると、脳の神秘に平伏したくなる。

6の婚礼、かくして六へ向かいたり-2
  1. 2008/09/14(日) 23:47:08|
  2. 数 と くうかん
  3. | コメント:0
前のページ

プロフィール

178773

Author:178773
ある共感覚者のひとりごと。

カレンダー

04 | 2017/03 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最近の記事

月別アーカイブ

カテゴリー

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索

RSSフィード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。